2017 / 06
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パリの国際大学都市、シテ・ユニヴェルシテールでの生活は、パリ市内で部屋を借りて生活することに比べたら、ずいぶん楽だったと思う。何よりも住む場所があり、敷地内にパリで最もおいしいと言われた学生食堂があったから基本的な生活には困らなかった。

だから僕は毎月の生活費を政府から支給されるとまず、一か月分の食券を買った。昼と夜の分だから60枚だが、フランス政府が援助しているから一食当たり、当時の日本円で120円ぐらいにしかならず、食費は月に1万円ぐらいで済んだ。

朝食は近くのパン屋でバゲットを買ってカフェ・オレと共に部屋で食べるのだが、学生食堂の食事は日によってメニューが変わり、噛み切るのが困難なくらいかたいビーフ・ステーキにフライド・ポテト、野菜のポタージュ、ヨーグルト、そしてデザートというのが最も標準的なセットで、食事のあとにデザートを食べるという習慣がこの時について、今でも食後のデザートを欠かすことが出来ない。

給費は500フランだったから当時のレートで3万円ぐらいに当たるが、外のカフェでコーヒーを飲むと1フランの時代だったから何とか生活は出来たが、パリ市内のレストランでの食事、ましてや和食のレストランは高嶺の花だった。でも若かったから和食が無くても困らなかった。

残りのお金は地下鉄のカルネ(回数券)、画材などに使ったが、最大の楽しみはレコードを買うこととコンサートに行くことだった。ほとんどのコンサートには格安の学生席があって、その席を買い、休憩のときに空いていればよい席に移った。幕間の時にパリのコンセルヴァトワール(音楽院)に留学している友達と会って話すのも楽しく、このパリ時代に知り合った音楽家との交友が後のサロン・コンサートの企画に発展していった。

と言うことで貧しいながらも楽しい生活ではあったが、もしもモンマルトルあたりの屋根裏部屋にでも住んでいたらもっと濃密なパリの暮らしを味わうことがができただろう。

以下はパリの大学都市の学生寮で、フランスの地方からの学生を受け入れるプロヴァンス館だが外観は高級マンションのようでもある。

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フランスの農業館は農学部の学生のためか、農業省が関係しているのかどうしてこういう名が付いたのか分からないが、一面にツタが絡まっていて、今では何となくエコロジーを感じさせる。

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ほとんどの学生寮の部屋は机とベッドがあるだけのシンプルなもの。

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Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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宇藤カザンのホームページ

英国の庭園とコッツウォルズ、フランス花景色、水彩画作品を紹介。

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