2009/01/31 06:20:46
大学生であるというのは特権があり、社会的ないくつかの義務も免除されるし、居心地の良いものだが、芸大の学生は創作を目指し、誰もが将来に希望を持ち、栄光を夢見ていたことだろう。太宰治が好んだ言葉「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」 は元はヴェルレーヌの詩らしいが、そんな気持ちから遠くないものがあったように思う。いずれ現実の厳しさに打ちのめされることになるとしても、学生のうちは気楽なものです。
芸大でうれしかったのは音楽学部があったこと。小さいときから音楽が好きだったものの、何の楽器もしていなかったので音楽家への道は閉ざされていたが、音校の学生が楽器や楽譜を持って歩いている姿は僕にとっては憧れでもあり、美校の学生は大体汚い格好をしていたからどちらの学部かはすぐに見分けが付いた。音校にはたくさんの練習室があって、ヴァイオリンやピアノや管楽器や声楽の音が混然として聞こえて来るのだが、普通にはうるさい騒音であっても僕にとっては心地よい音で、デッサンをする時の紙の上をすべる鉛筆や木炭の音と同質のものであった。音校と美校は同じ教室での授業はないし、水と油のように互いに交わることが少なかったが、僕は主にクラブ活動を通じて音校の学生の友人が多く出来た。その後フランスにに留学したときも飛行機から語学研修まで音楽の人と一緒だったから自然に音楽家の友人は増え続けることになる。
学生のときの最大の事件は大学紛争(学園騒動)で、外部の活動家が流れ込んで来て学校が一時封鎖された時もあったように思うが、芸大では特に問題や不満があったとは思えなかったから、時代の流行におされてしまった感がある。担任の脇田和先生は、大学紛争に加えて体調が悪かったせいもあり、あまり学校に来られなかったのが残念だったが、絵は教えられるというより、自分で探していかなければならないのでまあ仕方がなかったことでしょう。

モローの「ガラテア」
フォーレの歌曲は聴けば聴くほど良くなってきて大好きなのだが、ヴェルレーヌの詩にも曲を付けている。
巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
以上は堀口大学訳の「巷に雨の降るごとく」だがフォーレはこの詩に憂鬱(Spleen)というタイトルで曲を付けていて、雨を描写するピアノが美しく、大好きな曲だがU-Tubeには気に入った演奏がないので、同じヴェルレーヌの「月の光」が今日の音楽です。この曲もピアノがため息が出るほどに美しい。
「月の光」 堀口大学訳
お前の心はけざやかな景色のようだ、そこに
見なれぬ仮面(マスク)して仮装舞踏のかえるさを、歌いさざめいて人らが行くが
彼らの心とてさして陽気ではないらしい。
誇らしい恋の歌、思いのままの世の中を、
鼻歌にうたってはいるが、
どうやら彼らとて自分たちを幸福(しあわせ)と思ってはいないらしい
おりしも彼らの歌声は月の光に溶け、消える、
枝の小鳥を夢へといざない、
大理石(なめいし)の水盤(すいばん)に姿よく立ちあがる
噴水(ふきあげ)の滴(しずく)の露を歓(よろこ)びの極みに悶(もだ)え泣きさせる
かなしくも身にしみる月の光に溶け、消える。
Clair de Lune
芸大でうれしかったのは音楽学部があったこと。小さいときから音楽が好きだったものの、何の楽器もしていなかったので音楽家への道は閉ざされていたが、音校の学生が楽器や楽譜を持って歩いている姿は僕にとっては憧れでもあり、美校の学生は大体汚い格好をしていたからどちらの学部かはすぐに見分けが付いた。音校にはたくさんの練習室があって、ヴァイオリンやピアノや管楽器や声楽の音が混然として聞こえて来るのだが、普通にはうるさい騒音であっても僕にとっては心地よい音で、デッサンをする時の紙の上をすべる鉛筆や木炭の音と同質のものであった。音校と美校は同じ教室での授業はないし、水と油のように互いに交わることが少なかったが、僕は主にクラブ活動を通じて音校の学生の友人が多く出来た。その後フランスにに留学したときも飛行機から語学研修まで音楽の人と一緒だったから自然に音楽家の友人は増え続けることになる。
学生のときの最大の事件は大学紛争(学園騒動)で、外部の活動家が流れ込んで来て学校が一時封鎖された時もあったように思うが、芸大では特に問題や不満があったとは思えなかったから、時代の流行におされてしまった感がある。担任の脇田和先生は、大学紛争に加えて体調が悪かったせいもあり、あまり学校に来られなかったのが残念だったが、絵は教えられるというより、自分で探していかなければならないのでまあ仕方がなかったことでしょう。

モローの「ガラテア」
フォーレの歌曲は聴けば聴くほど良くなってきて大好きなのだが、ヴェルレーヌの詩にも曲を付けている。
巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
以上は堀口大学訳の「巷に雨の降るごとく」だがフォーレはこの詩に憂鬱(Spleen)というタイトルで曲を付けていて、雨を描写するピアノが美しく、大好きな曲だがU-Tubeには気に入った演奏がないので、同じヴェルレーヌの「月の光」が今日の音楽です。この曲もピアノがため息が出るほどに美しい。
「月の光」 堀口大学訳
お前の心はけざやかな景色のようだ、そこに
見なれぬ仮面(マスク)して仮装舞踏のかえるさを、歌いさざめいて人らが行くが
彼らの心とてさして陽気ではないらしい。
誇らしい恋の歌、思いのままの世の中を、
鼻歌にうたってはいるが、
どうやら彼らとて自分たちを幸福(しあわせ)と思ってはいないらしい
おりしも彼らの歌声は月の光に溶け、消える、
枝の小鳥を夢へといざない、
大理石(なめいし)の水盤(すいばん)に姿よく立ちあがる
噴水(ふきあげ)の滴(しずく)の露を歓(よろこ)びの極みに悶(もだ)え泣きさせる
かなしくも身にしみる月の光に溶け、消える。
Clair de Lune