2017 / 11
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現在も変わらないと思うのですが、当時の東京芸術大学には美術学部と音楽学部があって、美術学部は日本画、洋画、工芸、建築、芸術学科があり、音楽学部は器楽科の中にピアノ専攻とかヴァイオリン専攻とかそれぞれの楽器についての専攻があり、他に作曲科、指揮科、声楽科、邦楽科、楽理科があります。ヨーロッパでは美術と音楽が一緒になった大学というのは多分とても少ないし、Universityというのは総合大学のことですから、美術や音楽は専門学校となります。東京芸大も昔は専門学校という名だったはずですが、美術専門学校と音楽専門学校が接していたのでまとめて大学になったのだと思います。文部省管轄下で予算獲得などにおいてその方が好都合なのでしょう。

ヨーロッパでは音楽学校と舞台芸術(演劇とバレエ)は一緒になっている場合が多く、フランス語ではコンセルヴァトワールと呼ばれるのが普通で、コンセルヴェというのは保存とか維持するという意味ですから音楽は伝承芸術であるという位置付けからそういう名が付いたものと想像しますが、コンセルヴァトワールというのは基本的に国立であり、エコール・ド・ラ・ミュジークと呼ぶ音楽学校は私立学校になります。

東京芸術大学は上野公園の中、動物園の裏手にあり、東京文化会館、博物館、美術館が公園内にありますから環境は申し分なかったですね。公園内ですから店はなく、近くにはローソンもセブンイレブンもありませんでした、、、コンビニは当時は存在していなかったですね、、、長いこと行っていないけれど、谷中のあたりは変わったかな?

文部省管轄下ですから体裁は大学の形式を取らなくてはならず、教養課程というか学科もありましたが、何せ芸大のこと、実技には熱心でも学科に興味がある人は誰も居ず、身が入らず、とにかく単位さえ取ればよいという感じで、僕は教職過程を取らなかったので最初の1年でほとんど必修科目の単位を取ってしまいました。芸大に限らず、日本の大学の単位なんていい加減なものです。役に立つのはそこで勉強したと言うことより、そこを卒業したと言う肩書きなのではないかとさえ思えます。

音楽は技術が受け継がれていくものですが絵は結局は自分で習得するしかなく、芸大は大きな作品を描く場所を与えられ、望めば先生の適切な助言を得られると言う場だったと思います。

ところで石膏デッサンは日本では一般的で必須なのですが、ヨーロッパではほとんど行われないのではないかと思います。それは身近に本物の彫像がたくさんあるのと過去の芸術作品を写し取ることにあまり意義を見出さないからだと思います。ヨーロッパで人体デッサンが基本で、人の体が表現の源と考えるのではないかと思います。

日本でもそう考えたとしても裸婦を描く場は費用もかかりますから簡単には作れず、石膏像で代用することになるわけです。それではなぜ人体なのかということになりますが、西洋絵画のモチーフとしては写実に描く人物像が圧倒的だし、着衣であっても内側の人体の構造を知る必要があるからです。人体と言うものは誰でも持っているもので見慣れているからごまかしが効かなく、骨や筋肉や皮膚が有機的に機能、連動していて作為がない自然な美しさを作り出します。
異星人から見たらなんとも奇妙な生物に見えるとしても地球人にとっては全ての基本であり、人体の中に美を見出さなければ生殖も衰え、人類はこれほど繁栄しなかったかもしれません。

話が少し逸れましたが、なぜ男の裸体より裸婦を多く描くのでしょう。それは女体の変化が無限だからです。芸大でもたまには男のモデルが来るのですが、どうもポーズが定型化してしまうというか、硬いのでつまらないですね。女体だとちょっとひねったりすると流れのある美しいポーズがたくさん出来、乳房と重力が作り出す微妙な曲線も男性にはありません。あと人体の美しさの最大の特徴は皮膚が光を透過するということです。もしも人体がマネキンのように均質で光を通さなかったら、微妙な色彩を与える血管などが透けて見えず、光が作り出す限りない色彩と陰影の魅力も失せるでしょう。

芸大の1年と2年の基礎課程の頃は毎日のようにモデルが教室に来ていたと思うが、ほとんどの学生は人体デッサンに興味がなく、勝手な絵を描いていたのですが、今でも教室にモデルが来たりしているのでしょうか?

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アングルの「泉」とは関係ないけれど今日の音楽はフランソワ・クープランの「百合の花ひらく」です。

François Couperin: Les Lis naissans

【】
今晩は。
絵画はわからないなりにも好きなので展覧会は良く見に行ってました。(過去形です)
デッサンと聞いて思いだすのは、ダ・ヴィンチです。その展覧会は確か油絵が一枚も無く、人体のいろんな部分が描かれていて、筋肉の余りのリアルさに眼が釘付けで動けなかったのを思い出しました。
残念なのは会期後半に言ったので図録が売り切れで手に入れることができなかったことです。

余談ですが、先日名前を出しましたポルナレフですがコンセルヴァトワールに入学した・・と思いました・・が・・・
【はじめまして】
はじめまして、当ブログをよく拝見しているものです。
特に最近の芸大に関する記事はとても興味深く読んでいます。
また、kazan様は絵画だけではなく音楽にも造詣が深いようで、その才能が羨ましい限りです。
さて、私も趣味で絵を描いていますが、人物を描きたいとは思いません。人間が自然や動物に比べ美しいものなのか疑問に思うからです。しかし、今日の記事で、皮膚の透過性というのを読んで、なるほど、画家はこういう美しさを感じ取るのだなと妙に感心してしまいました。皮膚の透明感を表現しようとするのですね。
では、これからのブログも楽しみにしております。
【】
数多い天才の中でダ・ヴィンチやモーツァルトはその頂点にいる人で、人類の奇跡としか思えません。ダ・ヴィンチのデッサンではロンドンのナショナルギャラリーの「岩窟の聖母」が圧倒的に素晴らしい。

ポルナレフはパリのコンセルヴァトワールでピアノを勉強したようですから弾き語りは得意で、坂本龍一も芸大の作曲科出身でクラシックを勉強した1人ですね。
【】
物質は不透明なものが多いと思うのですが、個人的には半透明か透明なものが好きです。イタリア彫刻で大理石が多く用いられたのは大理石を多く産し、やわらかくて彫りやすいということがあったとしても、その半透明感が人の皮膚に近く美しい表現が出来たからだと思うのです。
ところで油絵では光が溶き油やニスを通して絵の具の層に入り込み反射してくるという半透明の魅力だと思います。水彩、版画、日本画ではその表現は難しいでしょう。
刺身も完全に不透明だったらあまり美しくなく、宝石も透明だからこそ魅力があるのでしょう。
【】
チェンバロはバロック音楽ではフルート・バイオリンとともに重要な楽器で昔から好きです。
世界的にヒットした映画「ある愛の物語」でヒロインがバッハの曲を弾いていたのを思い出します。

【】
クープランには「葦」、「恋の夜鳴きウグイス」など自然を描写したものがあり、フォルクレーにも花の名の付いた曲があったと思うので今度コンサートに取り上げたいと思っています。
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Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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宇藤カザンのホームページ

英国の庭園とコッツウォルズ、フランス花景色、水彩画作品を紹介。

http://utokazan.jp

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