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再び教育現場の方のコメントをいただきフランスをはじめヨーロッパ諸国の教育事情とのあまりの差に驚きます。

先生方が我武者羅にやっても学力低下などがあり、思うような結果が出ないということはシステムそのものが間違っているのではないでしょうか。教育のシステムは社会のシステムと連動しているので社会のシステムから変えなければなりません。

それはほとんど不可能に思えるし、1日千人程度の人が訪れるガーデニングのブログで何が出来るでしょう?
ブログというものは手軽に言いたいことを言えるほとんど自己満足の世界であり、教育などの社会問題の場ではないかも知れませんがガーデニングばかりでも飽きるのでブログの気分転換程度に考えてください。

社会のシステムの一つに学歴があります。学歴がものをいう社会では当然受験競争が始まります。日本では少し崩れつつあるようにも感じますが基本的にはまだ続くでしょう。

一番おかしいと感じるのは最も勉強すべき大学生が、医系や理系や一部の学部を除きあまり勉強していないのではないかと思うのです。
それは適当にやっていても卒業できるからで、人生で最も勉強ができる時にしないというのは国家的損失ではないでしょうか。

ヨーロッパでは大学に入っても勉強しなければどんどん脱落していきますし、その勉強量は寝る時間があるのだろうかと思うほど凄まじいものです。こうして知識を吸収している国の若者に日本の若者がどうやって立ち向かうのでしょう。彼らは専門知識はもちろんのこと文化に対しても深い造詣を持っています。

完璧な教育制度はないのですが、どうしてもヨーロッパの制度の方がまともだと思えてしまうのです。
フランスでは国語、つまりフランス語の授業は徹底しています。小学校から繰り返し、繰り返し文法を教え、本を読ませ文章を書かせます。毎日そういう訓練をしているのですからその蓄積の差は中学卒業の頃の日本の生徒とは雲泥の差であり、オリジナリティを持った文章でなければいい点は取れませんから、いかに自分独自の視点を持つかを競います。横一線は意味がなく平凡であることは価値がありません。
かなり早い時期から哲学の授業もありますから、考え、それを言葉に表現することにかけては鍛え抜かれていると言えます。

次に重要なのは算数で、こちらは日本とそれほど変わらないでしょう。
つまり読み書きそろばんが基本であり、外国語は英語、ドイツ語、スペイン語などの選択になります。
最近のフランスの教育事情は知りませんが根本的にはそれほど変わっていなく、体育、図工、音楽、家庭などは小学校でレクリエーションの時間にほんの少しやる程度でしょう。
塾はありません。毎日2時間程度の宿題が出るので学校と家庭で勉強すれば充分なのです。

残業や休暇についても日本とは違いますね。例えば日本人のボスの下で働いているフランス人の秘書は自分がいなければ仕事が進まないとわかっていても休暇を取ります。
彼女はきっとこう言うでしょう。「あなたも休暇にしたら?」

日本のある大手出版社が残業禁止令を出しました。
それまでは遅くまで残業していた社員が定時に帰るようになりましたが会社はまだ存続しています。

残業は恥だ。それは仕事が遅く、無駄が多く、能力の欠如の証だという国家的キャンペーンを展開したら少しは変わるかも。






【】
カザンさんのおっしゃる事よくわかります。
実際、昨日のさやかさんのコメントは、現在の日本の教育現場の内情を、よく書いてくださって、納得せざるを得ないからです。

私の友人にも、教職について頑張っている人は多く、養護の学校に勤めている人もいます。年齢は、さやかさんに比べてずっと上になりますが、それはそれで、家族のささえがあって、彼女達も必死でまさに身体を張って、毎日を送っています。

周りには、外国人の友人も多く、留学して、アメリカやヨーロッパの大学にいった人たちもいますから、今日の問題は実によく理解できます。
まず、欧米の大学生は、日本に比べて、はるかに成熟しています。18歳を過ぎると、親元を離れるのが普通ですよね。イギリスでは、現在はどうかわかりませんが、高校卒業時にAレベルと呼ばれる大学入学資格試験を取ります。その試験に合格すると、ギャップイアーといって、高校生と大学生をつなげる1年間のシステムがあって、この1年間で働いてお金をためたりしますが、たいていの学生はそこでボランティア活動をしますね。いいシステムです。
いったん大学へはいってしまうと、勉強勉強で、それ以外のことをする時間もない。

まず日本のシステムがあまりに違うために、海外に出て、初めてわかる訳で、カザンさんのように、イギリスとフランスの生活をずっとされてきた方からは、不思議でどうして?と思う仕組みばかりだと思います。

実際、私自身も、海外で仕事をする機会があり、その滞在の間でも、日本の特殊性に非常にギャップを感じます。

人間が自己を確立して成長するためには、他人の存在が必要です。でもニッポン人はほんの150年前まで歴史的にも地理的にもそのチャンスに恵まれなかったのです。そして、日本にいる限り、その特異性に気がつくこともなく、当たり前で、過ぎていってしまう。
微力ながら、自分の出来ることを少しでもしたいと思いますが、カザンさんのおっしゃるように、社会のシステムから変えていかなければいけないというのは、本当にむずかしい問題ですね。
【】
システムという点では、今あまりに学校が担うべき役割が多いのが現状ではないでしょうか。瀬戸内寂聴さんの本に本来学校は学ぶ場であり、家庭は躾の場であったと記されています。しかし、今、学校は「カウンセリング」の場と化しています。私のような地方の学校でさえ、毎日リストカットの子供たちとの戦いです。私が教員になってからの四年間でさえ、みるみるリスカは増えています。放課後は自殺願望の子供たちと話し、夜は学校にクレーム電話をかけてくる母親と二時間話し、結局は母親達は子供に嫌われていると泣く。しかも、担任のせいだと主張します。担任が娘に入れ知恵していると泣く。

夜八時以降は学校の電話はなりっぱなしです。母親から、地域から、みんなが学校に日頃の怒りをぶつけてきます。
学校はまるでネット上の掲示板です。匿名なので何でも言えます。具体的なクレーム内容はほとんどありません。大半が抽象的で的を得ない電話です。

大体、皆さん一時間は話される。
多分、みんな寂しいのかな、と思います。

学校は、今、大人たちの対応に疲れているのだと思います。子供達のためなら、どんなに寝なくても頑張れます。通じ合えるという確信があるからです。やっかいなのは一日に何度も電話をし、開示請求を病的にしてくる保護者と地域です。
やっと、国もスクールカウンセラーの拡大に力を入れてきました。しかし、全く追いついていないように思います。
日本は、結局のところ、教員を含めみんなに余裕が無いのだと思います。
授業の準備なんて、始められるのは深夜です。
私はアメリカンスクール勤務に来年から戻るつもりですが、日本の学校は、あまりにも異常に感じます。

先生達は疲れきっています。だから、先生同士でも優しくなれない。

でも、子供達を見捨てたくないから、夜八時以降でも毎日家庭訪問をするし、母親たちの怒りにもじっと耐えて「うんうん」と聞く。

そんな先生達を、今、日本はよってたかってパッシングしているのが現状です。ニュース一つ見ても、「学校が悪い」と言われています。

土日に普通に「○○先生いますか?」と学校に電話し、いなかったら不機嫌になる母親も多いです。

教員はただでさえ、真面目な人が多いので、「○○さんから電話があった」と伝えると、自分の子供を置いて慌てて日曜夜でも学校に出てくるママ先生も多い。

日本人が、周囲にもう少し優しくなり、「お互い様」という気持ちが持てたときに学校ももう少し元気になれるのかもしれません。
【】
昨日はインターネットに繋がらず、サポートセンターに連絡をとりましたが異常なしとの返事。イライラする内に深夜を大幅に過ぎてしまいました。今朝は直っており、ひとまずの安心を得ました。

さて、今日は展覧会の最終日。始まる前は随分長いと思っていましたが、過ぎてみると束の間でしたね。きっと今日は感慨深い朝をお迎えでしょう。日本国内でも地方によって天候、食べ物、人情、文化の違いがあり多分珍しいご経験もされたことでしょう。私は旅をしてその地方の人々と話したり、料理を食べたり、いろいろな文化に触れることが好きです。

昨日のさやかさんの切実な訴えに胸が締め付けられる思いです。夢と希望をもって児童の教育に当たろうと思われたでしょうに。現場ではことごとく踏みにじられ、これでは教師も児童と一緒に育つ環境なんかなく、あるのは失望だけ? 

このところ教育の問題についていろいろ私なりに考えてみました。今のシステムを変えるにはどうすればよいか? 結局一人一人の意識、認識が変わらなくては何も変えることは出来ないと思います。

今は亡き夫も身内にも旧制高等学校(1950年まで存続)の出身がいました。彼らからは何時も日本の誇る最高の教育システムであったと聞いていました。日本中、台湾、韓国からも(留)学生が来ていて、寮で送った学生生活での語らい、友や教師との人間的な深い結びつきを話していました。もう最後の旧制高等学校出身者も八十代です。

落ちるところまで落ちなければ目覚めないのかも知れませんが、国民の一人一人が一日も早く認識を改め、組織の再生にエネルギーを投じることを願います。




【】
ここまでひどいと病気で言ったら手遅れ、手に負えないという感じです。社会の病みの連鎖、その頂点は国会?でもそれを選ぶのは国民。考えが浅く踊らされている人が多すぎる。
【】
政治家の堕落と言いますか、酷いのばかり。
全部利権で結びついていて、これではヤクザ国家と言われも仕方がない。

結局国民のレヴェルが低いということです。

この国には魅力はありません。
【】
来年受験する子どもの小論文対策にと購入したものの、本棚の飾りになっていた
『日本の論点2007』を読みふけっていたので遅くなりました。

確かにカザンさんのブログで根本的な教育理念が違う西洋と日本の教育事情の
是非を論議するのはナンセンスかも知れませんが、気分転換にと一石を投じたことは
ランキングは見事に下り坂になってしまいましたが、意味があるのではないでしょうか。

そしてカザンさんがフランスのことをあれこれ書いてくださってますが、
だからといって、仮にいくら経済力があり語学が堪能でもフランスに移住したい、
子どもをあちらで教育させたいとは思いません。
末期症状、最低レヴェル?でも、生まれ育った日本が好きですから。

ちなみに冒頭の本によると2003年度に実施されたOECD加盟国の中で
15歳におけるPISA(学習到達度調査)で教育トップレベルの国は
フィンランドだそうです。

私はさやかさんに全面的に共感はしません。先生方は確かに教科以外の雑務が
余りにも多く理不尽な親の要求もエスカレートしていることは認めます。

どんな職場でもメスを入れれば病巣はあるでしょう。
教師という身分は法律で守られ一般的に公務員の中でも保障も篤いようです。
無能、不適格な先生でも簡単に辞めさせられない現状だってあります。
教育は先生方の「質」「情熱」でどのようにでもなるという思いも抱いています。
教育法の改革が進められ教員更新制度も審議されているようですし
基本法の中に「愛国心」の一文を盛り込む動きもありこれらも賛否両論です。

私は地方に住んで小~高校までPTA役員として学校側と多少は関わってきた者です。
都会では荒れた公立より私立へという選択肢もあるでしょうが、地方だと
ここしかない!という感じです。先生方だって自分の子どもはお寒い事情も承知で
地元の公立校に入れなくてはなりません。嘆くばかりでは何も解決しません。

先生方の中には子どもたちより同僚、教頭や校長先生、しいては教育委員会が
気になっておられる先生だなという印象を持つこともありますし、
こういう素晴らしい先生に教えていただきたいと感じることもあります。

リストカットのお話は夜回り先生こと水谷修さんの講演や著書などで2年前に知りました。
リストカットする子はその刃を自分に向けざるをえない、やさしさ・孤独・悲しみがあるのだと。
リストカットや薬物汚染、不純異性行為など学校だけの対応では追いつかないでしょうし、
個々に接すると先生ご自身がマイってしまわれる、、、。

教育者で自由学園創立者・羽仁もと子さん曰く、子どもはいずれは社会にお返しするものだそうです。
まずは健全な家庭を育み、やがて地域、社会、国家へと流れてゆくのでしょうけど、
家庭崩壊が叫ばれてる現状でウチは健全な家庭であると自信を持って言える親はいるでしょうか。
先生だけでなく親も子どももゆとりがなく、携帯やパソコンが普及して親子がまともに向き合う
ことも少ないです。「ウチではケータイばっかりいじってる」が現実ではないでしょうか。
じゃあどうすりゃいいの?ですが、それぞれが悩みつつ考え実践してゆくしかありません。

そりゃあ、成績が良いに越したことはないけれど超難関校に入れれば生涯シアワセとも
限らないから人生は面白いと思います。オウム事件しかりで落とし穴だってあります。

まじめ勤勉な子どもより柔らかな心を持った子どもに育てたいと願っています。
柔らかな心って何さ、、のツッコミに対しては美しいものや行動に感動する心です。
物言わぬ植物たちへの愛情同様に他人の心を感じとるセンサーは必要かなと思います。
完璧な人などどこにもいないのだから驕(オゴ)らず謙虚であれとも言いたいです。
若い人はどうのこうのと目に付くことも多いけれど、いつの時代も
「いまどきの若者はケシカラン・・」ではなかったでしょうか。

今、高校生の子どもが小3時の担任の先生を「学校のお父さん」と呼び慕っていました。
不登校寸前だった子が「先生がいるから学校へ行く」と。「僕はイジメは絶対に許さない」と
ことあるごとに生徒や親に言って態度で示しておられました。
この子が現在は元気で高校生活を送れるのも当時の先生のおかげだととても感謝しています。
教育者、先生というのは会社の利潤追及と異なり大変でしょうけれど尊い職業だと思います。

長くなりついでに花回廊の個展、今日が最終日ですね。
カザンさんのいらっしゃらないときを狙って?作品と花回廊の植物たちを
一度見に行きたいなあと思っていたのですが、、、どうもお疲れ様でした~~v-22

【】
日本とヨーロッパの教育システムを論じるのがナンセンスだとは思いません。もしも国民の大多数が日本の教育に満足で問題も感じていないのなら確かにナンセンスでしょう。一方色々なことに批判的なフランス人がフランスの教育制度におおむね満足し、登校拒否、自殺願望、イジメなどの問題もそれほどないようなのは、単に国民性の違いだけでなく、ストレスが少ないシステムになっているということではないでしょうか。
今の議論しているという教育改革は枝葉末梢で根本的な解決には遠いと思います。

根本的に疑問を感じるのは小学生や中学生が夜遅くまで塾に通い、塾で学校の授業を先取りする結果、学校の授業を軽んじているのではないかと思うのです。塾通いで過度に勉強すれば、大学に入る頃には自主的に勉強しようと思う意欲が失せるのは当然で、大学側も厳しく指導し、進級を認めなければ経営に響くし、レポートさえ出せば単位を上げるというおざなりのシステムが確立しているのでしょう。

私立大学のある日本では経営の問題があり、それが思い切った教育改革の出来ない原因でしょう。



【】
>今の議論しているという教育改革は枝葉末梢で根本的な解決には遠いと思います。

そうですね、たとえば生徒一人ひとりに「愛国心があるかどうか」をいったいどう評価するのか、
現場の先生方はもっと混乱に陥るだろうと言われています。
フランスがストレスの少ないシステムになっているのは余暇を楽しめる生活であるということでしょうか。
趣味に費やせたり友人たちや恋人とのコミュニケーションを作る時間があると。
前から見習うべきだと思っていたのはフランスは自由の国というイメージがありますが
自己責任が徹底しているという点です。このことは折に触れてカザンさんのブログでも目にしてきました。
何でも自由にしていいということではなく、他人に迷惑をかけない、自分の行動に責任を持つということ。

私立大学は少子化の影響を受け合併か倒産(閉校)するところが出てくると思います。
生き残りをかけて慶應義塾大学と共立薬科大学の合併に続き
関西学院大学と聖和大学が合併することが決定しているようです。
【日本の子ども達は学校に縛られ過ぎている】
教職をされている方の側からの日本の学校への提案、もっともだとおもいました。先日このブログの影響か、yahoo!のニュースに学校問題が取り上げられていました。鬱病で辞職した教職者数は4000人と出ていました。

一体学校はどんな激務を教師達に課しているのか、ということです。ゆとり教育にしても、教師が子ども達と心を通わす余裕がないとのこと。いまは上への報告書だとか、雑務が多すぎてせっかく教育を受けて子ども達の教育をするはずの優秀な先生方が親たちとの対応や持ち込まれる家庭問題、いじめ、不登校、不良化問題などで、ノイローゼになり、辞めて行っているようです。

一方、子どもを預ける親の側からいえば、学校中心で子ども達の生活は管理され、子どもは学校の人質のようであり、学校にとられた感があります。家庭で教育する時間なんてどこにもないじゃありませんか?風邪でゆっくり休むのさえも恐々とした感じですし、家族で学期中に海外旅行、なんて、とんでもない?少しくらい休んだっていいじゃありません?少し休んだらついて行けなくなってしまう学校ってどんなところ?って感じです。

みんなが同じ生活してるとでも思っているのでしょうか?それだけ有無を言わさず、ぎちぎちに管理されたとして、一生涯学校が子ども達の責任を持ってくれるわけでもないのでしょう?あまりにもすべてが管理主義で固められ、ゆったりとした民主主義の育つすきなんてないのでは?これが実際、文部科学省の指針なんでしょう。

日本人が自分の意見をはっきり持てていないのは、この学校の管理教育・競争原理でさばかれた成果にほかならないと思います。教育程度の高い社会の割りにじぶんの意見もいえないのはほんとにおかしなこと、だといわなければなりませんね。
【やっぱり考えないと】
>教育程度の高い社会の割りにじぶんの意見もいえないのはほんとにおかしなこと

私自身、外国人と話していて自分の意見を言えなくなることがありますが、やはり基本的には物事をあまり考えていないということなんですね。
日本の義務教育はとにかく暗記、暗記で、教科書と教師のいったことをより多く完全に記憶できた生徒が優秀と判断されますので、教科書に書いてあることが真実なのかどうかなどは、いっさい議論しないところに大きな問題があると思います。

最近起こっている社会問題にしても、オレオレ詐欺でいえば、なぜ先ず"息子"と会い、問題について議論しようとせず、真っ先にATMに走ってお金を振り込むのか。
NOVAの問題にしても、テレビであんなふざけたCMをしている会社が、満足な教育ができるはずもないのは簡単に判断できていいはずなのに、何も考えないで入学してしまう。
さらに、コムスンの親会社のグッドウィルにしても、金のブレスレットをはめ、高い車に乗り、ちゃらちゃらしている折口会長に満足な介護などできるはずもないことくらい、簡単に判断できそうなのに、なにも考えずに介護を依頼してしまう。
日本人て、なんでもお金で簡単に「解決する」のが、本当に好きなんですよね。何でもそうです。
なんでもお金を出して済ませてしまう、インスタント人生なんです。もっと心がほしいです。
【美しい日本!日本人の正義は死んだ?】
事なかれ主義と、自分の保身に敏い頭のいい日本人。

人と和す日本人のすばらしい美徳は美徳として、国際社会では、いえ、今の世間では通じない。日本人はやはり閉鎖社会がお好き?日本の教育は出口がない。体調が悪くて不登校をすれば、個人の思いより全体の安全の方をとる。全体のために個人を切る。全体というのは一体何なんです?問題は組織の包容力にあるのに、個人の問題にして葬ってしまう。集団生活の基本は人と合わせること・・かもしれないのですが。。これが曲者。物も人も使い捨て。自由であるはずの子ども達が競争原理でさばかれ、他を思いやる心も育たない。もちろん自分の良さも伸ばすことが出来ない息苦しい教育。誰でも自分の子どもはかわいいですが、それだけでは駄目でしょう。

今「平均的」と言う言葉は死語になりつつあります。多様化、格差。 基準線もないのに、はっきりした意見もないのになんでも多数決で決めようとする。一部の良識ある意見は聞けません。なぜなら意見なんて聞く耳持ってません。なんてったって、数でもう最初から決まりなんですから。さもそれが民主主義であるかのごとく。これはもう独裁政治でしょう。馬鹿な国民は小泉さんのしでかした策にまんまと引っかかって、いまだにそれを引きずるしかない。一体日本人はどうなるのでしょう?誰の責任でもなく、政治の中身もわからず仕舞いで、選挙にも行かず、戦うこともなく、人任せにしてきたつけなのでしょう。。そして、それを教育を通して着実に行うのは、政府の作戦でもあるのです。行き過ぎた考え方でしょうか?
【】
>体調が悪くて不登校をすれば、個人の思いより全体の安全の方をとる。全体のために個人を切る。

私のとなりに座っているS先生は、夜九時以降に毎日、不登校の子供を訪ねています。二歳と五歳のお子様を持つお母さん先生です。

私の斜め右のW先生は、養育放棄の両親を持つ不登校の生徒のために、ほぼ毎日、帰りにその子に家に行き晩御飯のつくり方を教え、一緒に夕食をとって、それからまた夜遅く職員室に戻ってこられます。

うちのクラスの子は、ゴミとねこ屋敷に住んでいます。玄関は、半分ゴミで埋まっているので、裏の窓の上部からはじごを使って家庭訪問をしています。毎日、この子をお風呂に入れるために、夜に訪問しています。


私達、教員は「個人をきって」いるとお考えですか。。。。
真実は目には見えにくいものです。
でも、心では感じ取ることはできます。

既に動いている人間は、声高に「こんなにやっているのよ」とは叫びません。

真実がどこにあるか、分かっているからです。

ただ学校批判を繰り返す社会の大人に理解してもらえなくても、そこに子供達の笑顔があるなら、頑張れます。

だから、なかなか睡眠はとれませんが毎日、継続できるのです。

批判するのはたやすいことです。

でも、その根底に愛の無い批判は、進歩を生みません。

子供達を叱るときも、三つ褒めて一つ叱ります。

「今の教育は。学校は。日本は。政治は。」
論ずるのはたやすいことです。

ですが、子供達のために継続することは愛がないとできません。


まずは、朝、七時半、毎日通学路に立ち子供達に挨拶をすることから始められませんか。

皆さんの町内の子供達の名前、何人覚えてらっしゃいますか。

最近、その子たちと話をしたのはいつですか。
その時の子供達の表情はどうでしたか。
生き生きしていましたか。


どうか、私達学校と共に子供達に向かい合ってください。

言葉ではなく。。。。。
【小学校と中学校との違い】
さやかさんが向かわれているのは小学校でしょうか。私の言っているのは中学校の現実です。小学校はまだやさしい先生も多かったですが、親たちの教育熱心は善し悪しという気がしました。通っていた小学校は公立のモデル校にもなっていたので、家庭的な問題で来られていないようなかたはそのころは聞いたことはなかったです。

最近は学校意外のことを個人的に世話することは、禁止されていると聞いていますが?・・。地域的な格差もあるのでしょうが、大変なお子さんも多いのですね。それに先生方がそこまでされているとは思いませんでした。

しかし、そこまで先生方がする必要、というのはないのではないでしょうか?それこそ、そういうお子さんのために対応する部署を教育委員会が設けていく必要があるのでは?それは義務教育を怠る親たちに対応すべき担当組織としてでしょう。学校の先生方がこのような問題まで引き受けていれば、当然、子ども達の勉学を教える前にへたってしまいますよね。熱心な先生方のお心もわかりますが・・・。

我が家の場合をお話しますと、小4で転校してから娘は学校になじめなくなり、小学校はその後、行けませんでした。事情を話してあったにもかかわらず、中学校では、先生から教室に入れないようにされてしまいました。教頭(女性)もそれを認めてました。なぜか?何度も教頭とも話す機会ももちましたが。学校から拒否されるって、どういうことですか?保健室登校という言葉もありますが、最近は保健室には入れません。誰もいない学習室の鍵を担任(学年主任もしていた)から投げてよこされました。せっかく学校へ来ても教室に入れなければ勉強などできません。しばらく休んでいたとしても学習の雰囲気だけでも感じ取る事だってできますのに。義務教育なんですよ?
これにはPTAの絡みも多分にあったように思いました。いってみれば学校を使った意地悪、親のいじめです。権利を剥奪する手の込んだ性質の悪いものです。いってみれば今の学校
の体制を利用してこんないやらしいこともできる、ということの例えです。これもあまりに競争意識があおられて、親までがPTAで出しゃばってしまうためです。学校もPTAを大切にしてますからね。今の学校では、こんなことはいっぱいあるのです。
【】
現在娘は、18歳でついに三年間中学の勉強をすることもなく、今は単位制の高校に在学していますが、勉強をしないでどうして高校へはいれるのですか?不思議です。

中学校で不登校をすると私立も公立も普通の高校へは入れてはもらえないの、ご存知ですか?どこまで意地悪をすると気が済むのでしょうか?

中学の教頭に笑って言われました。「お母さん、中学は来れなくても、高校は行けるんですよ」と。??一体どういう意味でしょうか?中学勉強してなかったら高校は無理でしょう?・・・

小・中学校へいけない人のための支援教室というのがありますが、実際カウンセリングばかりで、中学校の勉強は教えていません。聞けば教えてくれるそうですが、担当の先生には中学の教師はいません。せめて今日は理科やろうかとか、少し英語しようか?といったことがあるのが普通ですが。

これでは中学の義務教育とは一体何?と思わざるをえません。片や朝から晩まで勉強勉強、スポーツクラブはくたくたになるまでやらせる。一方、はずれた者にはもう何も教えず・・。これが何の改良もされず、不安定な時期の中学生達にずっと押し付けられている。高校受験を控え、親たちも学校の問題には意見があっても黙認。先生に文句を言わないのが賢い。PTAも学校にごまをすることしかしない。これでは改善などあるはずもなく、可哀想なのは生徒のみ。これでストレスが溜まっていじめがおこらないほうがおかしいのでは?そのはけ口が脱落者をつくること。なのでしょう。

不登校の子ども達のなかには、背が高すぎたり、ちょっと毛色が違う(別に髪を染めているのではない)感じを持つ人達が実際多い。 情けないですね。それもこれも校則でがちがちに縛られているせいでもある。なんと古めかしく、いまだソックスは白だけとか、髪は縛って、詰襟ははずさない?その状態で何時間拘束されるのですか?男子は髪が伸びてたら、先生が丸刈り?それで長男は床屋ばかりいってたのか。いまようやくわかった!(笑)   

で、卒業してもう何年も経つのですが、いまでも中学はきっとそのままなのでしょうね。たぶん。

結局学校に大きな変革がないのは、皆その時期を過ぎると、その時はちょっと問題があったとしても、我慢して通り過ぎてしまうともうどうでもよくなり、そのままになってしまうせいでしょう。教師も長く同じ学校に留まることもなく他に移らないといけなかったりしますしね。
【尊敬できる先生は少ないと思います】
私が9年間の義務教育の中で尊敬できた先生は、たった一人だけでした。
中には生徒のために熱心に世話をされている先生もおられると思いますが、そういった先生は極めて少数ではないでしょうか。
私自身、先生からいじめに近いことをいわれた経験も何度かありますし、教師に対する不信感は少なからずあります。
最近テレビなどで、教師に対して無理難題を言って来る親が多い、といった報道がありましたが、一般社会でも無理難題を言う人間はどこにでもいますので、教師に対してしてだけが特別に多いわけではないと思います。サービス業をやっていれば、お客は好き勝手気ままなことを言いますし、取引先の会社は無理な要求を突きつけてきます。
学校の中だけで特別に起こっているのではないと思います。
マスコミの場合、面白くし過ぎている気がします。

海外旅行で知り合った日本人の先生に、なぜ教師になったのかを聞いてみると、夏休みがあるからと答える先生は結構います。
魅力に欠ける先生が少なくない原因も、その辺にもありそうです。
構造改革特区を利用して、群馬県には小学校から歴史と国語以外の授業をアメリカ人教師などによって英語で教える学校があります。自民党の議員に言わせると、生徒がみんな楽しそうに授業に取り組んでいるとのことです。こうした学校の推進派でもある自民党議員の言っていることが本当かどうかは分かりませんが、私は英語をオーストラリアでも習いましたが、日本の学校での英語の授業とを比較してみると、オーストラリアの教師と授業の質の高さに驚きました。授業も面白いですし。

今インターネットが発達し、ちょっと頭の賢い子は、非合理的な言語の日本語は程ほどにして、英語を覚えて、ネットで勉強したほうが得と考えるのではないでしょうか。




【結局学校嫌いの人って・・・】
自分自身の中に問題がある人が多いんじゃないかな?
自分は、中学も高校も学校の先生とは結構話してたし、好きな先生も多かった。でも、やっぱり同級生の中にはいつも先生の悪口言っていたり、学校はつまらないとばかり言う人もやっぱり結構いたよね。一月にあった同窓会で、彼女達を見てると、やっぱり三十代になった今でも、結局いつも不満ばかり言ってるし、正直自分に甘くて他人に厳しい感じはぬぐえない。
子供が不登校の母親である知り合いもいるけど、その人自体、学校の担任のせいにしてばかりのような気がする。
結局は、こっちから見ると、「あなた自身」が変わらないと子も変わらないんじゃない?と思うことは多い。
でも、言っても聞くタイプでもないから、誰も直接は言わず「そう、ひどいね~、そんな先生いるの?」って聞くけどね。
色んなトピックで学校を批判する人って、何か根本の原因から逃げてるような気がするんだけど。自分だけでしょうか?
【学校が嫌いな子ども達が出来るのはなぜ?】
をCocoaさんはじめまして。あなたのようにいわれるお母さん方にはいままで何人かお会いしてきました。自分の子どもが同じ立場だったら、きっとそんなことはいえないでしょう。根本の原因って一体なんですか?わけのわからない事をごもっとも、と頭を下げて生きていく、ということですか?

私も色々なところでお話を聞いたりもしました。何が原因か?と。でも人を批判しているのは実はあなたのような気もするのです。そして、一番の間違いは今の学校が正しいことだと信じ、いけない人を何やかやと批判しているだけです。今の学校のあり方が正しいのならば何もいいません。何かおかしさがあるから言っているのです。皆が良い様にするためにはどうするのが良いかを今は論じているのです。人生の駆け出しの義務教育の中で子ども達の権利からみて、どうするのが一番いいかを論じているだけなのです。

それではCocoaさんは今の教育がこれでいいと思っていらっしゃるのでしょうか?
【】
このようなこともある、ということで、我が家の場合のお話しをさせていただきましたが、、いまさら無駄に過ぎた大切な時間を戻すことも、深く傷つけられた子どもの傷を無くすこともできません。話せば話すだけ、実際、厭な気持ちを思い出してしまうだけです。そして同じような思いをした人達は他にも沢山います。そしてそういう体験をなぜもっと話さないかというと、もうそんな事などは悲しすぎて思い出したくないから、なのです。

うちの場合はその後良い出会いもあり、今はようやく立ち直れています。

教育に携わっていらっしゃる側と受ける側の歩み寄りや理解の中から日本の教育についてよいアイデアや、方法も見つかるとよいのではないか?と思って参加しています。もちろん、反対意見などもあるのは当然です。一つには今の学校教育はなんとしても崩さない、というやり方です。

教育は本来もっと各自自由で、のびやかなもののはずなのに、なぜ、そうならないのか?ということを私はおかしく思っているだけなのです。学校の枠にとらわれない、教育の可能性が見えてくるといいなと思ってます。
【学校は何のために存在するのか?】
学校を論じる時にはいろいろな見方があると思います。

より高みを目指す教育。切磋琢磨する学びやスポーツを良しとする教育。希望するところで学ぶのはもちろん自由です。。

しかし、公立の学校は本来、全ての子ども達に知識を学ぶ事の楽しさや重要性を、教える開かれた場所であるべきだと思います。また、人と協力することの意味やすばらしさを知る場。これは理想でもなんでもなく、学校の本分であり、このために義務教育があるといってもいいと思います。

学校はけっして教員の為に給料を払うためだけの企業ではもちろんありません。教育委員会が、子ども達の指導のためのマニュアルをあまりに徹底、統一しようとするばかりに、本来こども達から学ぶという先生の本来あるべきあり方までを、こちらの言うことを聞かす、というような方向に変えてきてしまったのだと思います。

企業では企業効率を図るために人に点数をつけるということが、当たり前になっていますが、大人でもいつもいつも出来る出来ないで評価されてばかりいるとしたら、人生楽しいでしょうか?人間は機械ではありません。まして子ども達に義務はありません。先生はお給料をいただいているのですからそれもしょうがないかもしれません。でも子ども達は学習のためのテストはいいのですが、単なる篩い分けをされるためのものなのであれば、以後可能性と言うものを否定されることになってしまいませんか?

学校は企業のための使いやすい人材の養成機関などではないと思います。親は自分のこどもが出来なくてもその子のよさは充分認めています。ゆっくり育っていってほしいと。それなのになぜ学校での評価で傷つけられないといけないのでしょうか?出来ないなりに学校で得るところがあればそれはそれでよいのです。それさえも学校は許さないのであれば、行けなくなるのは当然で、そんな風に育てられてきた子ども達は自分に正しい評価をもてない貧弱な人間にしか育ちません。

学校は知識を教える前に人への敬意や、努力することの可能性をもっと教えていただきたいというのが、私の学校への希望
です。敬意のない教育からはやはりそういう人間しか育ちません。今の社会がおかしいのも、これまでのそんな教育の果たしてきた役割が大きいのではないかと思います。それには教師の品格も問題になるでしょうね。

過度の競争をしなくても、優秀な人は優秀でしょう。 それでいいのではないですか?そのような方に真のリーダーになっていただきたいものです。
【家族とのつながりを大切に。仕事は程ほどに・・】
日本人はがんばるのを良しとして、怠けるのを極度に嫌う国民かな?その最たるリードをしているのが、学校、って気がします。サボるなんてとんでもない?誰にもこんな本音はいえないところ・・。なんで?

学校なんか嫌いだし、面倒です。でも、そう言うから勉強をしなくていいと思っている訳でもありません。その程度でいいのに、何か学校、と言うと構えてしまうのは何故なのでしょう。

学校がその子の人生までも決めてしまうようなところがあるからです。うっかり学校へは行けません。
【いじめの好きな生徒にありがちな理由】
>自分自身の中に問題がある人が多いんじゃないかな?

いじめをする人にありがちな理由ですね。
なぜあなたはいじめをするのか?という質問に対してテレビのインタビューでよく耳にする答えです。

私が中学時代、父親が酒飲みで家にお金がなく、服などを満足に買えない女子生徒がいました。学校で清掃の時、雑巾がけをしていたらスカートの下からパンツが見え、穴が開いていました。それを見た男子生徒たちが"穴開きトローチ"というあだ名を彼女につけ、学校でたびたびそう呼んでいました。
その中の一人だった私の幼馴染は今、県立高校の教師になっています。

教師として採用される基準が、どんなものなのか知りたいところです。
【意外に知られていない事】
文部科学省が、実際は学校では勉強をさせていない実態を隠し、保健室登校を登校と報告し、不登校数を0とごまかしていたことは、先日問題になってご存知のかたも多いですが、数字上の報告の偽装を、文部科学省自らやっているようでは日本の教育もたかが知れています。

不登校の子ども達のなかには、東京や大阪から地方へ転居した後その土地の雰囲気になじめず、まわりに誰も知ったひとがいないせいもあり、そのまま学校へは行ってない人達も多いのです。これ、どうするの?

また、地域で子ども達を育てるといいながら、よそから来た人達には冷たかったり、最近の親たちは自分のこどもだけが可愛いというのも事実で、競争から、税金を自分達だけで使うことをあたり前と考える親達。

給食費未払いの問題は、ほんとうは不登校で学校では給食を食べていないのに給食費を徴収していることから数の上で顕われてているのでは?という気もします。不登校数は実は相当多い。それに便乗して払わない人は、まったくどうかと思いますが・・。我が家も一度も給食を食べていないのにずっと請求されていましたから。また一度払うと食べていなくてもなかなか返金はされません。

中学では給食はなかったのですが、牛乳をとらされて、学校では飲むことがないので断ろうとしたら、取らなかったら学校へ来れなくなるとまで言われ、なかなか止めさせてくれなかったのには、あきれてしまいました。教室へも入れないで、なにを言ってるのかと・・。 しばらく取らされていた間、だれがそれを飲んでいたのか?は不明でした。ケチな話です。
【】
私があまりにも個人の事を一気に書き過ぎてしまったようで、皆さん引かれてしまわれたようで、申し訳ありません。

学校の問題の中にはもっと多くの要素も含まれているし、学校をうまく使えなかった子ども達ばかりでもありません。当然、先生方の多大な恩恵を沢山受けられて、すばらしく伸びた方達もいらっしゃいますし、我が家の長男は学校もよく出来たし、好きだったようですから。ですから教育体制の中の出会いもその子ども子どもの先生との出会いや、学ぶべき事であるのかも知れないという気もします。。

しかし、やはり学校の先生方は勉強が出来て教師になられた方が多いので、出来ない子どもがなぜできないのか?しないのか?を理解出来ない先生も実際多いように思います。

また、個別でゆっくり教えることもしない現状では、わからない子は置いて行くよりしょうがないようです。わからない人にとっては、学校の一日は長すぎます。こういった問題をどうするのかを詰めずに、今の学校体制は終わっているようですし、親も自分の子さえ良ければそれでよい、ということになってそれで終わっているのです。

それと、みんながそんなに出来なくてもよいではないか。と言う考え方だってあるのです。みんながそんなにできたら、大変です。(笑)

人生何も学校ばかりではないはずですし、家庭学習の方がどちらかというと向いている人達もいます。その子にとっては、ある時は塾だけでいいかもしれません。そういった、もう少し柔軟な考え方ができないのかな?と思うのですが、お役所というところは、大体はそういうものなのでしょう。皆大体諦めていますが、その辺の学校のシステムの問題があります。家庭学習というのは実際、社会的にもなかなか認められません。

それと前にも書きましたが、学校は親も、子どもも、拘束し過ぎです。学校は個人の生活に関与し過ぎでしょう。

これをどうするのか?また、子ども達には子どもたちで家庭環境や食から来ている、もっと憂慮すべき問題も沢山出てきています。
私の住む地域は文教の町なので、教育関係者(大学の先生)や医者がとても多いので、そういうところでは反って親が自分の子どもばかりに熱心になりすぎるということも出てきます。また、親たちの学歴のほうが、上だったりして、先生も言うことを控えたり、ということさえも起きてくるのです。
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Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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