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教育現場の方からコメントをいただいたので、、、

以前から思っていたのですが、どうして日本の学校の先生は労働時間が長いのでしょうか?それは多分日本の社会と親が学校に多くを求めすぎるからではないでしょうか。
教員は一部の生徒に手を焼き、授業以外の雑務、生徒指導、保護者のクレームなどに追われて疲れ果てているようです。

フランスの小学校は明快です。先生は生徒と同じ時間に登校し、授業が終わったら生徒と同じ時間に帰ります。
校長室はありますが普通職員室はありません。学校は勉強を教えるところでありそれ以上のものではなく、基本的に授業が終わって生徒が帰れば門を閉ざし、放課後というものはありません。ただし都市近郊では共働きの保護者のために授業後、保育園的な役割を果たす学校もあります。

また小学校では子供だけで帰るということはなく、スクールバスか保護者の出迎えが義務付けられているので、帰宅時の場は先生、生徒、親の情報交換の場にもなり、行き違いなどが出にくいのではないでしょうか?
フランスではパブリックとプライヴェートの線がはっきりしているので先生の自宅に電話をかける人もいないでしょう。

躾なんて親がするに決まっていますし、学校の先生は授業に徹すればよく、テストの採点などを家に持ち帰る場合もあるでしょうが、たいていはすぐに自習にしてその間に済ませてしまうようです。

クラブ活動をしたければ休校日の水曜、土曜、日曜日に自主的にしますがもちろん学校は閉まっています。日本の先生の中には授業よりもクラブ活動の指導に生きがいを感じてしまう人もいると聞きました。

フランスの学校では生徒の指導に当たるのは監視官のような、授業を受け持たない特別な職員がいてトラブルが起きないように生徒の面倒を見たり欠席の先生の代わりにクラスの授業をしたりします。

フランスの学校の先生は給与は低いけれど年間100日以上のまとまったヴァカンスに加えて週休3日だから休みが約210日、授業日は約155日となり、一年の半分以上も学校に行かないことになります。
フランスでもイギリスでも国民の教育に対する信頼度は高く、小中学生の学力は低くありません。

なぜでしょう?いつも不思議に思います。

【】
ヨーロッパの学校は、終わるのも早いですね。お掃除の専門の方達もいるので、勉強が終わったら、すぐに家に帰ってきて、それぞれのお稽古事などに出かけていきます。
私は、直接学校教育にはかかわっていませんが、現場の先生方は本当に頑張っていらっしゃいます。
カザンさんがおっしゃる通り、たまにある懇談会などでは、先生に対する要望?などがものすごい勢いで出され、実際、手におえない生徒の扱いで、疲れ果ててお休みなさっている先生もいらっしゃいます。お気の毒なことです。
我が子を預けているだけでも申し訳ないと思うのですが・・・
確かに、先生方の拘束時間も、大変な時間です。

幸い、我が子は将来の希望もたくさん持ち、学校大好きで、毎日明るく生活していますが、周りのお子さん達は、皆’将来、仕事したくない’’結婚したくない’’子供産みたくない’といっているそうです。少子化やニートの問題が、驚くべき低年齢層から起こっている実態です!

まず、周りの大人が、希望を持って、楽しく人生を生きるべきですね。歴史のある国なのに、嘆かわしいことです。
【】
全てが甘えの構造なのでは?

 日本人は負んぶに抱っこが大好きな国民なのではないでしょうか?
だから何時までたっても自立できないのです。子供の時から、各自が自分の義務をきっちり果たし責任をとることが重要じゃないでしょうか。自分は何もしないでして貰うことのみ期待するのはどうかと思います。

 学校は授業さえきちんとすれば良いのに、親がそれ以外のことをいろいろ要求するのでしょ。笑止千万!学校は勉強するところ。自分の子供は自分が責任をもって躾、子供でも一個人として社会に出たときにどうあるべきか、常日頃何かにつけて親が教えるべきです。

 子供の素行がわるければ学校が悪い、友だちが悪いと責任を他へ転化して、自分の子供との向き合い方、関わり方に疑問を持たない。親の言うことを聞かないと、金品を与えて子供の心を買収する。子供はますます悪くなります。

 日本の親は子供を甘やかしすぎです。その内、子供は甘やかされるのが当然と思って大きくなります。ですから、ちょっとでも自分の思うようにならなかったり、注意されると直ぐにキレてしまう。小さいときに、悪いことをしたら徹底的に叱り、悪いことをするとどうなるかを身を持って教える必要があるのに、それをしない。

 自分の子供が余所の子供と同じでなくても不安がる必要はないでしょう。そんなに没個性的な人間に育てたいのですかねー。

 世の大人達は今こそ真剣に考え直し、行動するときです。物心つく子供が成人するまでに20年、30年と掛かるのです。遅いけれど何時か始めなければこの国は変わらない。
【】
ニュージーランドで汽車に乗ったときの話しをします。

主人と汽車に乗っていて、食堂、コーヒーショップの案内があり、私達の乗っていた車両の二車両後ろにショップがあることが分かりました。コーヒーが飲みたかったので、私がコーヒーを二カップ求めに行きました。車両のドアが自動でないので、何処かへコーヒーを置こうと置き場所を目で探していたら、近くの座席に座っていた 一家で旅をしていた家族のお母さんが未だ幼い五歳位の男の子に、あのレイディーの両手が塞がっているから立って行ってドアを開けて上げなさいと命じました。男の子は直ぐにイエス、マミー、と言って立って来てドアを開けて呉れました。Thank you, little gentleman, と私が言うと、お母さんは、ドアをholdしていないさい、そして次の車両のドアも開けて上げなさい、というのです。本当に素晴らしい教育ではありませんか。次の車両でも小さな子供が来てドアを開けてくれて、ちゃんとholdしてくれたので、何も困ることはありませんでした。随所でこのような親切を受けました。

日本でそんな親切が受けられるでしょうか。地下鉄にご老人や身体に障害のある方が乗って来ても、寝たふりをしていて席を譲らない若者。平気で鞄を開けて化粧をしている女の子、その横で明らかに母親と思える中年の女性も知らん顔。何てこと! こんなことが平気で行われているのです。それに大人が立っていて、平気で子供を席に座らせてお菓子をボリボリ食べさせているお母さん。アー、恥ずかしい!
【】
全く同感です。
マークス寿子さんらが、早い時期から、この国は危ない、幼稚な国だ、と警告をならしていらっしゃいましたが、現在はその予想以上に悪い状況になっていて、恐ろしい現実です。
M.Kさんがおっしゃるように、親の責任はもちろんのこと、他人に対する心遣いというものも、欧米では当たり前なのですが、日本では感じられません。

カザンさんのご質問の教育の事ですが、考えてみると、今の教育はごちゃごちゃに考えすぎていて、よくわからなくなっているのではないかと思うのです。
私達の世代は、まだいい日本の学校教育を受けていたのだと思います。象徴的なのが、中1の英語の教科書で、 a pen,a desk で始まっていた時代。私などは、この中学校の英語の教科書を丸暗記していただけですけど、今、どこの国にいってもそんなに会話に困りません。
教育方針がしっかりしていたと思うのです。
でも最近の中学校の英語の教科書を見てみると、焦点がぼやけている、あれでは文法も会話もごちゃごちゃになって、それこそ塾へ行かないとわからない・・・という事になるのが当然のような気がします。
すべてにおいて、今、この国では、情報がありすぎて何を信じていいか大人も子供もわからず、右往左往しているような感じがします。
すべてをシンプルにすることで、見えてくるものも多いと思います。
実際、欧米の方達は、実にシンプルに人生を楽しんでいます。
【】
昨日は、現場に立つものとしてコメントを送り失礼致しました。他の皆様のコメントを拝見して再び考えさせられました。現在、公立の学校現場は、本当に「我武者羅」だと思います。朝七時には職員室に入り、帰宅は夜十時過ぎ。数時間睡眠をとり、土日も通常通り出勤という中で、私がつくづく感じるのは、「教員には文化がない」ということです。先月、どうしても見たいお芝居があり、夕方七時には職員室を出ようとしました。ある先生から「いいよね~、芝居なんて。優雅だね。みんな、こんなに頑張っているのに。二十代は最後に職員室を出るのが常識だよ。」と言われました。学校では、こんな本を読んだ、とかこんな映画を見たという会話をすることはまずありません。みんなが土日もボランティア出勤をして働いている状況なので、自分が余暇で楽しんだことを言える雰囲気は全くありません。部活では、文科系の顧問の先生は、「戦力外」と呼ばれる現状があります。体育会系の部活で県優勝させた先生が勝者です。実際に文化部への予算はあからさまに減っています。子供たちは土日の部活がたまに休みになると、余暇の使い方が分かりません。日記を見ると、ほとんどの子が「部活がないから、一日中寝ていた。」と書いています。教員に文化がないのに、子供たちに文化があるのか、と不安になることもあります。文化を訴える教員は、概して現場では「役に立たない」とされ、大声で生徒をどなり、勝敗にこだわる人たちが管理職になっているのが日本の現状ではないでしょうか。自分が我武者羅にやってきたからと、八時には帰宅する職員を「戦力外」と平気で陰口をたたく教頭達が増えているのが今の日本だと思います。
教員が職員室で、お薦めの本を伝え合えたり、夏休みに旅行に行きその体験を子供たちに話せたりする余裕が生まれたとき、子供たちの心も育つように感じます。
再度、若輩ながら長文失礼致しました。
【なんとかならないか奇妙な日本語】
私はフランスに1年間滞在していたことがありますが、フランス人の印象はとっつき易く、人間が「自然」なイメージです。やりたいことはやって、いいたいことは言う。
それに対して、我が日本人はいいたいことはあまり言わず、やりたいこともあまりやらずといったイメージです。会社にいつも振り回されている。

教育がどうのこうのと言う前に、日本人には他人に対しての思いやりの精神が欠けている人の割合が多いと感じます。

教育をする側、受ける側にとって必要なものの一つに言語がありますが、この言語、つまり日本語ですが、なぜ日本語はこれほどまでに奇妙で奇怪なのでしょうか。日本人がこの奇妙な言語を何とかしてほしい、と言っているのを一度も耳にしたことがない。日本って物事をあまり考えない人が多いのが理由なんでしょうね。

最近話題の年金問題にしても、世間もマスコミもだれも疑問に感じないのか、何も考えないのか滑稽な事態が発生していますよね。
年金加入者の名前をコンピュータに入力するさい、漢字の「読み方」が分からなくて誤入力されているということです。
いい大人が日本語の読み方が分からない。
英語やフランス語ではありえない話です。
奇妙な日本語によって、日本人と日本政府が苦しめられ(続けて)ている。滑稽としか言いようがない。言語は文化である前に、コミュニケーションの手段です。
日本語は話す場合はいいとしても、漢字の読み書きは、すべて記憶していないと非常に困難。あれだけ多くの読み方、書き方を記憶しなければならない子供にとっては、大いに無駄な時間と労力を使わなければならない。
日本の教育を議論するときには、まず、無駄が多い日本語の議論からすべきです。

最近「日本語は天才である」などというタイトルの本が出ていますが、その前にこの奇妙・奇怪な日本語をなんとかすべきだ。
【"美意識"に対する日本語の影響】
これまで日本語が奇妙・奇怪・非合理的だと言ってきましたが、さらに日本語には大きな問題があります。
生まれたときから常に使用する日本語は、1億2千万人の日本人の人間形成を大きく左右する母語であるからです。

日本人は「美しいものに対しては、極めて敏感だが、醜いものに対しては鈍感だ」という意見はよく日本人からも、また外国人からもいわれます。
「日本人が醜いものに対して鈍感」なのは、生まれつき使い慣れ親しんできた日本語に重大な原因があります。
漢字・ひらがな・カタカナ・英字までひとつひとつの文字の印象がまったく異なった字が、ひとつの文章の中に入り混じっています。英語やフランス語では統一され整然としています。
なぜ日本人は4つの文字をごちゃごちゃに混ぜて使っても「醜い」と感じないのか、不思議でたまらない。
美的センスのあるカザンさんはどう思われているのか、聞きたいところです。
私などは日本語を見るたびに、「うーん、醜い言語だ」と思いますよ。要するに日本人は醜い文章を生まれつき毎日毎日見せられているために、醜いものに対する感性が麻痺しているわけです。
だから、醜いものに対しては鈍感なのです。

料理でもそうですが、日本食は口の中にご飯を入れ、おかずを入れ、漬物を入れてさらに味噌汁も入れて口の中でこね回します(でも美味い。多分、舌の感覚が"麻痺"しているため)。フランス料理やイタリア料理ではやらない行為です。



【鈍感力より適切な思考力が大事】
日本人がこれ以上鈍感になったら大変です。
最近の日本人は、視覚、味覚、聴覚、触覚などが麻痺している人が多くなっていると感じます。
これ以上、日本人が鈍感になったら大変です。
「鈍化力」という本が売れているそうですが、「鈍感力」という発想自体が、どこか鈍感だから言えるのだと思いますね。
適切な判断力と思考力があれば、鈍感力は必要ないのです。
それらが「ない」ために、鈍感力が必要だと思い込んでいるだけだと考えます。

義務教育では詰め込みで暗記ばかりさせるのではなく、もっともっと考えさせる訓練と考えるノウハウを身につけさせるべきなのです。哲学ということでしょうか。
企業関係者からは「そんなことしたら仕事が進まなくなる」といわれるでしょうね。

最後に提案したいのは、修学旅行では京都などに行く学校が多いと思いますが、京都ではなく、ぜひインドに行ってほしいと思います。
社会人になってからでも国内は行きたければいつでも行けますし、神社仏閣を見物して終わりなら大した意味もなく、そよりも人生を深く考えられるインドが最適です。
日本人は「上」ばかり見過ぎてはいないでしょうか?

【鈍感力は氾濫し過ぎる情報や人間関係の緩衝材】
鈍感でなければ生きて行きにくい世になったということですね。まともな神経では参ってしまう。「鈍感」が実際良い訳ないですよね。美しいものを美しいと感じる心が鈍化したり、人の気持ちに鈍感であれば、当然世の中おかしくなってきます。真の鈍感ではなく、感じない努力も必要!ということでしょうね。世の中、益々耐えられなくなりつつある、と言うことでもありますね。

日本の閉鎖社会では鈍感に振舞うくらいでなければ角がたってしょうがないってことでもありますね。で、益々国民は馬鹿になるって訳ですか。(笑)

これじゃ教育問題も考えるだけ無駄ってことですね。
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Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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