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風景の中で最も感動するのは朝靄の時です。それは普段はあまり見ることが出来ない景色であって非日常の幻想的な世界だからでしょう。だから逆に日常が朝靄の状態であって、たまにしかはっきりした景色が見られないとしたら、鮮やかな自然の色彩に目くるめく想いをすることだろう。

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こういう経験をスコットランドのスカイ島でしたことがある。スカイ島は霧が多く出る島だが、島に着いてからずっと霧に包まれていたのが、2日目にようやく視界が開けた。その時は突然天上の世界が降臨したように感じ、天使が舞っていても不思議でない感じがした。

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まだ明けやらぬル・アーヴルの港をバスは出発し、セーヌ河沿いの道をパリに向かい、今だったら高速道路を使うからセーヌ河を見ることが無いが、72年当時はまだ高速道路が出来ていなかったら一般道路を走った。そして月明かりの中のセーヌの朝靄の光景を見たのだが、その美しさはただならぬものでとても言葉では表せない。

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詩人ならきっと一篇の幻想的な詩にまとめるだろうが、今歌っているフォーレの歌曲にAuroreと言うのがあり、「あけぼの」とか「夜明け」と訳されているが、きっとこれに近い世界を詩と音楽で表現しているのだろう。

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同じフォーレの「ゆりかご」という歌も大きな船がうねりの中を出港するという言葉があり、船は人それぞれの何かを象徴しているのかも知れない。

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モネもまたセーヌの朝靄の光景を描いている。

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"Les Berceaux", Gabriel Faure フォーレの歌曲「ゆりかご」

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ある冬の日、日本館のレセプションからアルバイトの話があった。アルバイトを必要としていた訳でもなく、また出来る環境にもなかったが、今回の仕事はツアー・コンダクターで、フランスとイタリアの中世の絵画や彫刻を巡る長期の旅だった。

京都芸術大学の日本画科の学生を石本正教授が引率し、フランスのル・アーヴルからイタリアのミラノまでが僕の担当で、ミラノから先は別の女性が受け継いだが、日本旅行の社員が添乗員として二人いたから、簡単な通訳と地図を見たりの雑用が主な仕事で、こちらも旅行を楽しむことが出来た。

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大学の春休みを利用してのツアーで、ツアーの参加者は25名ぐらいだったと思うが、ロンドン経由で来たのでル・アーヴルで早朝落ち合うことになっていて、2月末の本当に暗く寒い時期だったからル・アーヴルの港は真っ暗だった。

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フェリーで着いた一行とオランダ人が運転する大型のバスに乗り込み、旅の始まりです。


春から秋までのパリは気持ちがいいが、冬のパリは陰鬱な天気が続き、気が滅入ることがある。まあ音楽会はあるからそれが一番の楽しみなのだが、ある日建築科の田中君と画学生の田中さん、フランス政府の建築の留学生の杉本君とでノルマンディーに行こうということになった。

まだフランスに来る前だったが、クロード・ルルーシュの「男と女」という映画でドーヴィルの海岸が出て、ドーヴィルからパリまで車で走る場面があり、特に田中君は日本ではポルシェに乗っていてレーサー並みの腕前だから、男(ジャン・ルイ・トランティニアン)がレーサーという設定のルルーシュの映像にほれ込んでいて、それを体験してみたいと思ったのである。僕はといえばヌーク・エーメの美しさにほれ込んでいましたが、、、、

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映画の中では男の車は多分スポーツカーだったと思うが、こちらは田中君の水色のカブトムシと杉本君のからし色のカブトムシの2台でダバダバと冬のモノクロームの景色の中を走った。

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人気の無いドーヴィルの海岸を見て、我々は最大の目的であるレストランで食事をすることにした。
そこで食べた生牡蠣と蟹みそのおいしさは忘れられない、、、、

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Un Homme et Une Femme - Claude Lelouch (1966)

パリの国際大学都市、シテ・ユニヴェルシテールでの生活は、パリ市内で部屋を借りて生活することに比べたら、ずいぶん楽だったと思う。何よりも住む場所があり、敷地内にパリで最もおいしいと言われた学生食堂があったから基本的な生活には困らなかった。

だから僕は毎月の生活費を政府から支給されるとまず、一か月分の食券を買った。昼と夜の分だから60枚だが、フランス政府が援助しているから一食当たり、当時の日本円で120円ぐらいにしかならず、食費は月に1万円ぐらいで済んだ。

朝食は近くのパン屋でバゲットを買ってカフェ・オレと共に部屋で食べるのだが、学生食堂の食事は日によってメニューが変わり、噛み切るのが困難なくらいかたいビーフ・ステーキにフライド・ポテト、野菜のポタージュ、ヨーグルト、そしてデザートというのが最も標準的なセットで、食事のあとにデザートを食べるという習慣がこの時について、今でも食後のデザートを欠かすことが出来ない。

給費は500フランだったから当時のレートで3万円ぐらいに当たるが、外のカフェでコーヒーを飲むと1フランの時代だったから何とか生活は出来たが、パリ市内のレストランでの食事、ましてや和食のレストランは高嶺の花だった。でも若かったから和食が無くても困らなかった。

残りのお金は地下鉄のカルネ(回数券)、画材などに使ったが、最大の楽しみはレコードを買うこととコンサートに行くことだった。ほとんどのコンサートには格安の学生席があって、その席を買い、休憩のときに空いていればよい席に移った。幕間の時にパリのコンセルヴァトワール(音楽院)に留学している友達と会って話すのも楽しく、このパリ時代に知り合った音楽家との交友が後のサロン・コンサートの企画に発展していった。

と言うことで貧しいながらも楽しい生活ではあったが、もしもモンマルトルあたりの屋根裏部屋にでも住んでいたらもっと濃密なパリの暮らしを味わうことがができただろう。

以下はパリの大学都市の学生寮で、フランスの地方からの学生を受け入れるプロヴァンス館だが外観は高級マンションのようでもある。

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フランスの農業館は農学部の学生のためか、農業省が関係しているのかどうしてこういう名が付いたのか分からないが、一面にツタが絡まっていて、今では何となくエコロジーを感じさせる。

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ほとんどの学生寮の部屋は机とベッドがあるだけのシンプルなもの。

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ところでカザンの名前の由来をよく聞かれる。もちろん本名でなく、ペンネームなのだが取り立ててたいした意味があるわけではない。本名がフランス人にとって発音しにくく、覚えにくく、良くスペルも間違えられるので、彼らでも覚えやすく、強い響きの名前に変えようということで変えました。

UTOはイタリア人の名前でウートと言うのがあるし、エリア・カザンという「欲望という名の電車」の作家がいるから以降は誰もがすぐに覚えてくれました。

カザンは花が一杯の華山でもいいし、噴火する火山でも良いのですが、以前飼っていたボルゾイのブリーダーが Prince de Kazan 《カザンの王子》 だったので、戌年でもありますしカザンにしました。

名前だけだと性別不明なので、展覧会で絵を見た人はほとんどカザンを女性だと思ってしまう。

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この通りは「ムッシュー・ル・プランス通り」つまり「王子様通り」となっている。どうしてこういう名になったのか分からないがちょっと気になるネーミングではある。

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この通りはサン・ミッシェル通りのリュクサンブール公園からサン・ジェルマン通りのオデオンへ斜めに抜ける通りだが、小さな画材店があって絵の具を買いに良く来た。

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画材店は今は無くなってしまったようだが、青い上着をきたおじさんがフランスの強いタバコ、ゴロワーズを片時も口から離さず、親切に話してくれ、美術学校の学生には値引きしてくれた。

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サン・ミッシェル通り方面を望む。

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サン・ジェルマン通り方面

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14番地の彫像のある家にはサン=サーンスが住んでいたことがある。

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ドアの木彫が面白い。

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こんな店もある。

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安くしておくから誰か僕を買って~!

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レストラン・ポリドール

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1845年創業だから老舗のレストランですね。

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このレストランはワィン・ショップも持っていてワイン好きが通う店。

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鏡には今月のお勧めワインの名が書かれている。

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さすがにノスタルジックな内装。

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以前は無かったけれど最近日本料理の店が増えて、、、、漢字の雰囲気に似せて書かれた店名の看板は明らかに中国人の経営ですね。こういう店では日本人の従業員はいないので誰も日本語は話せません。中華料理よりもサシミの方が利益になると転向する店が多いのです。

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サン・ジェルマン通りから見て、左がムッシュー・ル・プランス通り、右がオデオン通りです。



サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」のアリア「君が御声にわが心ひらく」 (あなたの声に心は開く)はカザンが大好きな曲。マリア・カラスの声が素晴らしい。

Maria Callas "Mon coeur s'ouvre a ta voix "

エリーナ・ガランチャの声も美しく魅力的です。

Elina Garanca - Mon coeur s'ouvre à ta voix

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ダゲールの通りにはほかにどんな店があるでしょう?

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帽子専門店ですが、フランス人も最近は無帽になったから、やがて消えていく店かも知れません。

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こちらはパン屋、サンドウィッチも売っています。

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チョコレート専門店、フランスではチョコレートは大人のもの。子供のおやつには値が張ります。

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古本屋はまだ健在です。

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小さな花屋もあります。

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ピアノ・ディスコ・バーは要するに踊る場所でしょうね。

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アコーデオンの専門店がありました。

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アコーデオンはシャンソンに欠かせませんね。

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ダゲール通りの入り口にあるカフェ

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カフェはパリのもっとも魅力的な風景の一つではないでしょうか?

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八百屋も楽しいですね。

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イチゴ、ラズベリー、ブルーベリーなどの赤いフルーツ

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赤いフサスグリ

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トマトなどの野菜はほとんど秤売り。

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クルジェット(ズッキーニ)、ナス

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ピーマン

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肉屋のマークのステーキはパリ市の地図になっていて、セーヌ河、シテ島、サン・ルイ島、パセリのようなブーローニュの森とヴァンセンヌの森が描かれている。

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ローストチキンの匂いはたまらない。ついつられてランチに買ってしまう。

ダゲール通りのダゲール・マレという魚屋もアレージアと同じように新鮮な魚を売っている。

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学生のときは学生食堂で食べていたから魚屋には行かなかったが、その後パリやブルゴーニュに住んでいた時は良くこの魚屋でマグロを買った。フランスではマグロは輪切りにして売るのだが一切れ最低でも1.2kgはある。大きすぎるから薄く切ってくれといっても、そんなに薄くは切れないと断られるが、確かに真ん中の骨を切るのは大変だろう。輪切りだからオオトロの部分も含まれる可能性があるのだが、最近ではオオトロの部分は最初から切り取られている。多分パリの寿司屋が先に確保してしまうのだろう。

最初から輪切りにして並べてある場合が多くて、少し変色している場合もある。フランス人は加熱して食べるから良いものの、こちらはサシミで食べるのだから、新しく切ってくれと無理やり店の人に頼む。

フランスでもマグロは高いから、マグロを加熱してしまうなんてもったいないなぁと思うけれどね。肉料理に関してはフランス料理の知恵は凄いと思うけれど、魚料理に関しては日本が最高で、醤油とワサビがあってこそ。

最近パリやロンドンで寿司屋が増えているのが気になるところ。世界中の人がマグロをサシミで食べるおいしさに気付いてしまうと、だんだん手が出なくなってしまいそう。。。。

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色々な種類の海老や貝があります。

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ムール貝もたくさん売っている。

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ウナギはどう料理するのだろう?ブイヤベース風かパテかな?

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ちょっと怖いかも、、、、

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ダンフェール・ロシュローから西にダゲール通りがのびていて、商店が立ち並び活気二あふれている。いかにもパリの庶民の生活が感じられるのと、一ヶ月だけこの通りに住んだことがあるので愛着を感じる。

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商店が開く前は狭い通りにトラックがたくさん止まり荷物の積み下ろしをする。

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店が開く頃からは車は通行止めになり、ゆっくりと買い物が出来る。すぐ近くにスーパーがあるもののパリではまだ市場が健在なのはうれしい。

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大きな牛が店のひさしの上に、、、、

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言うまでもなくチーズ屋さんです。

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フランスのチーズの種類は3000種とか聞いたことあるから、ここにあるのはほんの一部ということでしょう。

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牛と羊のマスコット。

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フランス人は食後のデザートの前にチーズを食べたがるが、和食の漬物みたいな存在だと思う。

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大学都市からメトロで1駅のダンフェール・ロシュローもよく行った場所でアレージアからジェネラル・ルクレール通りを歩いていけば近い。

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大きなロータリーの中心にはライオンの像がある。

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ベルフォールのライオン像のレプリカだが作者は自由の女神と同じ彫刻家です。

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ダンフェール・ロシュローはいくつかのメトロが交差するするところ。

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メトロの入り口の裏手に小さな公園があります。

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広場の緑色の建物はカタコンブの入り口。

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パリの街を区画整理するに当たって墓地の骸骨を古い地下採石場跡に100年かけて移動しました。

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長い階段を降り、出口までは1.7キロありますから、迷い込んであなたが白骨にならないように!

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600万体の遺骨が納められています。

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アレージアはパリで最も新鮮な魚が手に入ると言われている。それはオルリー空港の近くのランジス市場から最も近い魚屋だからかもしれない。

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ピザ屋さん

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おいしそうな天然酵母のカンパーニュ

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悲しまないで、あなたはノブレのお店に行くのよ!

大学都市には学生食堂があるから自炊する必要は無いが、アレージアには市場があって歩いて行かれる距離なのでよく行った。それに友人の田中君と田中さんがアレージアに住んでいたので何度も遊びに行った場所である。

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田中君は前にも出てきた美術学校の建築科の学生で、田中さんは絵の勉強にパリに留学していた。偶然同姓なのだが当時は恋人同士で同棲していて、後に結婚することになるのだが、田中さんは大の酒好きで料理が抜群に上手かったから、画家や建築家仲間のたまり場になっていて、夜遅くまで食べたりおしゃべりした日々は実に楽しかった。

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アレージアはメトロの4号線の終点、ポルト・ドルレアンの一つ手前の駅で、大きなロータリーに面して教会やカフェがある。

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おなじみのアール・ヌーヴォーの地下鉄(メトロ)の入り口のアーチ

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アレージア通りは凄く長い通りだが、窓の庇(ひさし)を支えるのはギリシャ神話のアトラントとカリアティードでアトラントとはゼウスによって西の果てで天空を支えるように命じられたアトラース(アトラス)のことで、カリアティードはその女性版である。またアトラースは地図帳の語源ともなった。

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こちらの寂しげな巨人は、イゾレと呼ばれ、中世のポルトガルからパリの入り口までたどり着き、森に隠れてサンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者を待ち受け、巡礼者への追いはぎや人殺しをして困らせていたので、王は騎士のギヨーム・ドランジュを遣わし、イゾレを退治させた。
しかし首をはねられたイゾレのあまりの大きさに村人は運ぶことが出来ず、その場に埋めたのでその地は「イゾレの墓」と呼ばれるようになり、現在のトンブ・イソワール(イソワールの墓)という呼び方に変化して行った。

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トンブ・イソワール小学校はこの伝説に基づき、先生、生徒、父兄や彫刻家と共同で小学校の壁にイゾレの像を据え付けたという訳です。

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アレージアの交差(多分7差路)は南の高速道路からパリへの入り口に当たるので、いつも大変な混雑というよりも混乱で、特に左折には強引さがないといつになっても曲がることが出来ない難所である。

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映画館やカフェが立ち並び、夜遅くまで人でにぎわう。

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国際大学都市はパリ市を一周する環状の道路に面している。この道路はプチ・サンチュール(PC)と呼ばれ、その外側のペリフェリック(高速環状道路)に対して「小さなベルト」と呼ばれている。

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以前はただ車が通るだけだったが2年ほど前からトラム(路面電車)が走るようになった。まだパリを一周するまで路線は出来ていないが将来パリを一周するようになれば素晴らしいことです。

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大学都市(シテ・ユニヴェルシテール)のメトロ(RER)の駅の前もずいぶん変わりました。右側の建物がメトロの駅です。

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T3の路線は13区のポルト・ディヴリー(Porte d'Ivry)から15区のガリリアーノ橋(Pont du Garigliano)までですが、パリの南側はほぼトラムで結ばれました。

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路面がアスファルトでなく芝なのがいかにも環境に優しいと言う感じがします。

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車内はこんな感じです。

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Paris Tramway Line No. 3.

Le tramway de Paris ligne T3

パリの国際大学都市の中も広い芝のスペースがあって学生や近くの住民の憩いの場となっている。

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芝生の奥に見える教会の塔も大学都市の一部です。

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大学都市はジュルダン大通りを隔ててモンスリー公園と接していたので良く散歩に行きました。

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かなり広い英国式の庭園で、特に特徴があるとは思わないが、広々として気持ちの良い場所です。

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パリの中心部寄りの北側の入り口から入ると勝利の女神の像が出迎えます。

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この公園は第二帝政時代にナポレオン3世とセーヌ県知事のオスマンによって造られました。

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花はほとんど無く樹木と芝の公園です。

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以前、この公園内には1876年の万博のために建てられたチュニジア風のバルド宮殿があって、気象観測所などに使われていたのですが1991年に焼失してしまいました。

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公園の周囲には遊歩道が巡ります。

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そしてオアシスのような池もあります。

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公園の中央をパリの中心部と南の郊外を結ぶ地下鉄(RER)が通っています。

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こういう公園が身近にあるっていいですね。

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パリの大学都市にはもう一つル・コルビュジェの作品がある。それは1959年完成のブラジル館でスイス館から30年近く後に設計されたものだ。

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スイス館よりずっと大きく、同じような要素がたくさん見受けられるものの、スイス館ほどの独創性を感じられないのは、居住空間をたくさん確保しなければならないという制約があるから、ロンシャンの礼拝堂のようには自由に線を引くことが出来ないからかもしれない。

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無機的なコンクリートと鮮やかな色彩のコントラストはル・コルビュジェの建築に共通している。

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橋梁のような上に居住空間を造る基本設計もスイス館と同じコンセプト。

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サロン部分を外側から。

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サロンの柱は黄色。キーポイントは大体ブラジルの国旗の中の黄色が使われている。

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エレベーターは赤。

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現代的な明るいサロン

4日間ほど仕事がらみでドライブをしてきました。行ったところは長野、群馬、栃木、福島、山形、秋田県の一部ですが、最初から期待していなかったけれど、街並みの美しさは街道沿いには全く無く、むしろ汚さばかりを感じてしまった。日本全国どこに行っても街並みは同じで、ヨーロッパのような変化が無い。どうしてこうなってしまったのでしょう?多分無秩序と安上がりの家造りのせいでしょう。

夕方で時間が無かったので写真は撮らなかったが、秋田県の角館の武家屋敷のある一帯はとてもいいけれど、ほんの一部で町全体は他の都市と変わりが無く、それは京都や高山でも同じでしょう。

日本は木造家屋が主流で地震や火災が起きる国だから、それらの危険がほとんど無いヨーロッパの石造りの家とは条件が違いすぎるのだが、それにしても走る喜びが無い。

ヨーロッパでは走っても走っても小麦畑や牧草地が広がったりの単調な景色もあるけれど、目立ちすぎる看板は大都市郊外のショッピングセンターあたりにしか見られなく、古い町並みが小さな町や村ごと残っているところが多い。

不可能なのは分かりきっているが、日本全国各地の家並みがそれぞれの地域の特徴で統一されていたらどれほど観光的には楽しいだろと思う。


国際大学都市のスイス館の向かいに日本館がある。二つののフランス館の後にようやくアトリエのある日本館の1人部屋に移ることができた。最上階のとても小さな部屋だったが、明るいアトリエがあるのがうれしい。

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日本館の外観は神社の社務所のような城のような、、、ちょっと不思議な感じです。1929年に建てられたようだからもっとも初期からあるわけで、この建物は日本政府が建てたかというとそうではない。

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日本政府は財政難を理由に学生会館を造るのを断ったが、パリの社交界でバロン・サツマと呼ばれていた大富豪の薩摩治郎八が私財で建てたので薩摩館とも呼ばれている。

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外観は和風だが内部は他の館と変わらず洋風で、何度か改装されている。

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最近周囲に日本庭園が整備された。

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サロンには藤田嗣治の大きな群像の油彩画がある。

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この日本館のサロンで同期の給費生の加古隆君のジャズ・ピアノ・コンサートのポスターを頼まれたのが後にサロンコンサートを多く手がけることになる始まりです。

加古 隆," 黄昏のワルツ "

加古隆&川井郁子"黄昏のワルツ"

礼拝堂の内部に入る。

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帆のようなカーブを描くコンクリートの天井。

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光の戯れ。。。。「海」と書かれている。

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ステンドグラスは最初は画家であったル・コルビュジェ自身が作ったようだ。

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空洞の塔に赤い光が満ちる。

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もう一つの塔は光のスリット。

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シャペルの丘からロンシャンの町を眺めます。鉄道も通っていてパリの東駅から列車で来ることも出来ます。最後は徒歩かタクシーになりますが、、、、、

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なんだかピラミッドみたいなものがあリます。

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礼拝堂と丘からの眺望のための展望台のようなものでしょう。

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礼拝堂の裏手に少し離れて鐘があります。

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なんと斬新なデザイン!

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ちょっとモンドリアンの絵のようでもあります。

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大きな船が空中を通り過ぎて行く感じ、、、野外用の説教台でしょう。

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ここがメインの入り口になります。

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モンドリアンの絵


ある日、パリの美術学校の建築科の学生であった田中君の水色ののカブトムシ(フォルクスワーゲン)に乗ってロンシャンに行くことになりました。

スイスとの国境に近いロンシャンにはル・コルビュジェの代表作であるノートルダム・デュ・オー礼拝堂があるのです。パリからはかなり距離がありますが、レーサー並みの腕前の田中君にとっては何でもありません。でもカブトムシでは120キロぐらいしか出ませんでしたが、、、、

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丘の上に目指すロンシャンのシャペル(礼拝堂)が見えます。

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手前のロンシャンの町の教会は初期のゴシック様式でしょうか、フランスの地方にたくさん見られるスタイルです。

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丘の上には第二次大戦の頃まで荒れた礼拝堂が建っていたようで、ル・コルビュジェの設計による礼拝堂が竣工したのは1955年です。

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シャペルは丘の上ですからふもとのロンシャンの町から坂道を登っていきます。

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ロンシャンのノートルダム・デュ・オー礼拝堂です。ノートルダムはもちろん聖母のことで、オーとは高台の意味です。

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この形は明らかに船を意識していますね、

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現代のノアの箱舟でしょうか。

スウェーデン館と共に人気があるのはスイス館です。設計は有名な建築家のル・コルビュジェ(ル・コルビジェ)で1933年に建てられたなんて信じられないほど古さを感じさせないのが凄いです。

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地震のある日本では考えられないですね。

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サロン外観

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サロン

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サロンの壁画

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図書室

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共同キッチン

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部屋は広くはありません。

パリ国際大学都市には約40の建物があり、フランス館が最も多いものの各国の学生寮が並んでいて、それぞれの国にふさわしいデザインの建物になっている。

僕の住んでいたアール・エ・メチエ館の向かいにはイギリス館があり、レンガ造りの大きな建物です。

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以上がイギリス館です。その近くにはアメリカ館があって、さすが大国と言う感じでイギリス館よりもさらに大きな建物です。

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メトロのシテ・ユニヴェルシテールの駅があるブルヴァール・ジュルダンに沿っています。

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1929年に建てられ、学生のためには267の個室が用意されています。

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内部はアール・デコ調の装飾です。

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以上がアメリカ館です。

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ノルウェー館はシンプルなデザインです。

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スウェーデン館はおしゃれな感じのデザインで夫婦部屋もあり大学都市の中でも一番人気がありました。

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スペイン館です。

イギリス館にはイギリス人が住むと決まっているわけではなく、各国の学生が混在しているものの、やはり自国の館には入りやすい傾向はありました。現在はどういう運営がなされているか知りませんが、自国の寮があるというのは大きなメリットであることは確かでしょう。

小澤征爾はボストン交響楽団の音楽監督に就任する前はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督だったが、72年ごろにサンフランシスコ響を引き連れてフランス各地でコンサートを行った。
パリでの公演もあったと思うが、シャルトルの大聖堂でコンサートをするというので、友人の車に乗せてもらってパリから1時間程度で行けるシャルトルまで出かけた。

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教会でのコンサートは残響が長く、あまり速い曲は聴きにくくなるかも知れないが、モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスとブラームスの第2番の交響曲だったからプログラミングも良かった。演奏も素晴らしかったが、日本人の指揮者がアメリカのオーケストラを引き連れてフランスのカテドラルで演奏会をするという事実に同じ日本人として感動を覚える。

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小澤征爾はブザンソン指揮者コンクールで優勝してNHK交響楽団とボイコットのトラブルを起こしたのだが、あの逆境があったからこそ今の小澤の世界的な活躍に繋がったと思う。小澤はシャルトルの演奏会のリハーサルのあと、団員と話しながら大聖堂の傍らでリンゴを丸かじりしていたが、実に気さくでどの団員からも慕われているのがよく分かった。

87年ごろだと思うが葉山でサロンコンサートを企画していて、堀米ゆず子さんに演奏を依頼したのだが、横須賀で小澤征爾指揮、新日本フィルで堀米さんがソリストだったので出かけて堀米さんに挨拶をし、小澤さんも一緒に横須賀線に乗った。グリーン車もあるのに普通車で立ったまま話しているのを見て、本当に飾らないというか、こういうことの積み重ねがオーケストラの団員を束ねる秘訣なのかと思った。

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昨日のU-Tubeの小澤征爾指揮のベルリンフィルのコンサートマスターは安永徹さんだったが、ベルリンフィルのコンサートマスターという地位も大変なもので、演奏技術だけでなく、音楽の深い知識を持ち、団員と指揮者のコミュニケーションを取り、どちらからも信頼されなければ勤まらない地位で、そこに日本人が居るというのは余程ずば抜けていなければ抜擢されなかっただろうし、長い期間在籍していると言うのは団員と聴衆の厚い信頼があるからこそでしょう。

ボストンから200キロのタングルウッドにある小澤ホールです。1994年に完成しました。

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夏には音楽祭が行われ、若い音楽家の育成などに当たっています。

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大きな開口部があって、飛行機の格納庫のようです。

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内部は木造です。

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ユース・オーケストラ

Mozart Ave Verum Corpus

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以前はシャンゼリゼ劇場を本拠地にしていたパリ管弦楽団はサル・プレイエルに移ってしまいましたが、シャンゼリゼ劇場とサル・プレイエルでは演奏の迫力が違います。シャンゼリゼ劇場もサル・プレイエルも1900席ぐらいでそれほど座席数は変わらないのですが、シャンゼリゼ劇場の方が建物全体に共鳴するというか、最強音ではバルコニーが揺れるような感じさえあります。ただし円形のイタリアのオペラ座式の座席なので左右の舞台に近い方は見えない席があるのが難点で、以前は社交場的な要素が大きくて舞台は見えなくても客席が見えれば良かったのかも知れませんが、オペラやバレエでは見えないのは困ります。

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シャンゼリゼ劇場での思い出深い演奏会はたくさんあるのですが、小澤征爾がパリ管弦楽団を指揮したストラヴィンスキーの「火の鳥」とバルトークの「中国の不思議な役人」の二つのコンサートは、小澤とパリ管と作品の相性の良さが際立ち、本当にすごい演奏会でした。演奏が終わり隣のカフェで友達とコーヒーを飲んでいたら、感動したフランス人の聴衆がこの中にオザワはいるか?と聞いてきたので、僕です!とか言ってサインしてあげれば良かったのでしょうが、、、

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今年のシャンゼリゼ劇場の行きたいけれど行かれない演奏会は、5月7日の小澤の指揮でフランス国立管弦楽団のベルリオーズの「ロメオとジュリエット」、5月の26日のゲルギエフの指揮でウィーン・フィルの「火の鳥」、6月22日の小澤、ウィーン・フィルでメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」あたりでしょうか。

日本人の指揮者、佐渡裕が主席指揮者を務めるパリ・ラムルー管弦楽団もシャンゼリゼ劇場を本拠地にしています。

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サル・プレイエルはサントノレの通りにあり、メトロはテルンです。

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客席は日本のホールと同じような感じでシャンゼリゼ劇場より響きが硬いでしょう。

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Igor Stravinsky conducts The Firebird 作曲者自身の指揮による「火の鳥」

Ballet l'oiseau de feu firebird Stravinskyボルショイ・バレエ団による「火の鳥」

The Fire Bird: Benjamin Pech-Karl Paqueteベジャールの振り付けによる「火の鳥」

Igor Stravinsky's Firebird - Finalサイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィルの「火の鳥」

Stravinsky-The Firebird (finale) 小澤征爾指揮、ベルリン・フィルの「火の鳥」

今でもそうだが、高校生の頃からクラシック音楽が好きで良くコンサートに通っていた。一時は日本モーツァルト協会の会員でもあって、毎月の例会のコンサートに行ったり、芸大に通うには当時のクラシック音楽のメイン会場であった上野の東京文化会館の前を通るわけだから、学校の帰りにコンサートに寄るのも何でもなかった。

ならばなぜ画家ではなく音楽家にならなかったかという答えは簡単で、小さい頃楽器を弾いていなかったから。もしも家にピアノがあったら音楽を志していたかもしれない。才能があったかどうかは分からないのだが、音楽家は憧れであり、音楽は最も崇高な芸術だと思っていた。

だからパリに住み始めたら、どんな音楽会があるかを調べてコンサートに行くのが最高の楽しみで、日本に比べれば入場料はとても安かったし、毎日のようにどこかしらで演奏会が開かれていた。
絵の具やキャンバスを買うよりも音楽会のチケットを買う方が優先でしたが、音楽会はその日を逃したらおしまいだが、絵の具はいつでも買えるというという単純な理由です。

最も頻繁に通ったのはモンテーニュ通りにあるシャンゼリゼ劇場です。シャンゼリゼ通りから歩いても遠くはないのですが、セーヌ河のアルマ橋の近くです。
シャンぜりぜ劇場はパリ管弦楽団の本拠地であり、ウィーン・フィルやベルリン・フィルの演奏会をはじめ、高名なソリストのリサイタルもたいがいここで開かれます。

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モンテーニュ通りです。

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モンテーニュ通りには高級ホテル、プラザ・アテネやシャネルなどのブティックが並んでいます。

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シャンゼリゼ劇場は地味な建物です。

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昼間のシャンゼリゼ劇場。

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コンサートは以前は21時開演でした。

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ゆっくり食事をしてから音楽を楽しむ訳です。終演は23時近くになり、それからコーヒーとかオニオン・スープとか、、、しかし、やがて20時30分開演になり、今では20時開演になりました。

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開演前の入り口は込み合います。

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エントランス・ロビーです。

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ホールの客席は円形で、一番上の窓の天井桟敷席では最前列の人しか良く見えません。

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70年代はタキシードとイヴニング・ドレスが一般的でしたが、最近では平服になりました。

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重厚な赤いカーテンは緞帳に描かれたものです。

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コンサートだけでなくモーツァルトなどの小規模なオペラも上演されます。

Cosi fan tutte モーツァルトのオペラ「女はみんなこうしたもの」

Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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宇藤カザンのホームページ

英国の庭園とコッツウォルズ、フランス花景色、水彩画作品を紹介。

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