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大学生であるというのは特権があり、社会的ないくつかの義務も免除されるし、居心地の良いものだが、芸大の学生は創作を目指し、誰もが将来に希望を持ち、栄光を夢見ていたことだろう。太宰治が好んだ言葉「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」 は元はヴェルレーヌの詩らしいが、そんな気持ちから遠くないものがあったように思う。いずれ現実の厳しさに打ちのめされることになるとしても、学生のうちは気楽なものです。

芸大でうれしかったのは音楽学部があったこと。小さいときから音楽が好きだったものの、何の楽器もしていなかったので音楽家への道は閉ざされていたが、音校の学生が楽器や楽譜を持って歩いている姿は僕にとっては憧れでもあり、美校の学生は大体汚い格好をしていたからどちらの学部かはすぐに見分けが付いた。音校にはたくさんの練習室があって、ヴァイオリンやピアノや管楽器や声楽の音が混然として聞こえて来るのだが、普通にはうるさい騒音であっても僕にとっては心地よい音で、デッサンをする時の紙の上をすべる鉛筆や木炭の音と同質のものであった。音校と美校は同じ教室での授業はないし、水と油のように互いに交わることが少なかったが、僕は主にクラブ活動を通じて音校の学生の友人が多く出来た。その後フランスにに留学したときも飛行機から語学研修まで音楽の人と一緒だったから自然に音楽家の友人は増え続けることになる。

学生のときの最大の事件は大学紛争(学園騒動)で、外部の活動家が流れ込んで来て学校が一時封鎖された時もあったように思うが、芸大では特に問題や不満があったとは思えなかったから、時代の流行におされてしまった感がある。担任の脇田和先生は、大学紛争に加えて体調が悪かったせいもあり、あまり学校に来られなかったのが残念だったが、絵は教えられるというより、自分で探していかなければならないのでまあ仕方がなかったことでしょう。

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モローの「ガラテア」

フォーレの歌曲は聴けば聴くほど良くなってきて大好きなのだが、ヴェルレーヌの詩にも曲を付けている。

巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?

やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!

消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。

ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。    

以上は堀口大学訳の「巷に雨の降るごとく」だがフォーレはこの詩に憂鬱(Spleen)というタイトルで曲を付けていて、雨を描写するピアノが美しく、大好きな曲だがU-Tubeには気に入った演奏がないので、同じヴェルレーヌの「月の光」が今日の音楽です。この曲もピアノがため息が出るほどに美しい。

「月の光」 堀口大学訳

お前の心はけざやかな景色のようだ、そこに
見なれぬ仮面(マスク)して仮装舞踏のかえるさを、歌いさざめいて人らが行くが
彼らの心とてさして陽気ではないらしい。

誇らしい恋の歌、思いのままの世の中を、
鼻歌にうたってはいるが、
どうやら彼らとて自分たちを幸福(しあわせ)と思ってはいないらしい
おりしも彼らの歌声は月の光に溶け、消える、

枝の小鳥を夢へといざない、
大理石(なめいし)の水盤(すいばん)に姿よく立ちあがる
噴水(ふきあげ)の滴(しずく)の露を歓(よろこ)びの極みに悶(もだ)え泣きさせる
かなしくも身にしみる月の光に溶け、消える。

Clair de Lune
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大学生時代というのは人生の中で一番楽しく楽な時代だと思います。医学部や理工学部などの理系の学生はたくさん勉強するのでしょうが、日本の文系の大学生の勉強量は世界最低水準ではないでしょうか。
一番勉強しなくてはならない時にしないというシステム、大学に入る前に勉強しすぎて入ってしまうと勉強に対する興味が失せてしまう人が多いのは困ったものだと思うのだが、教育制度を根本から変えない限り解消はされないでしょう。フランスでは大学入学資格の試験を取れば基本的にはどの大学にでも登録できるが、勉強しなければ進級できず、卒業できるのは3分の1程度と聞いたが、こういうシステムになれば大学生は勉強するし、大卒の価値も高まるというもの。しかしこれも私立大学がほとんどないフランスだから出来るわけで、厳しく落第させたら日本の私学は経営が成り立たなくなるでしょう。また日本で同じことをしたら東大に学生登録する人が増えて教室が足りなくなるのは目に見えています。今までは日本は日本のシステムでやっていれば良かったのですが、国際化とともに競争力のある優秀な文系の人材が今後育って行くのだろうかと案じてしまいます。海外の大学生は寝る間も惜しんで勉強していますから。

芸大は音楽学部は毎週レッスンがあるから必死で勉強するでしょうが、美術学部は課題さえ提出すればどんな絵でも否定はされない。理解不能でも「これが私の芸術だ。」で通りますから楽なものです。だからほとんどの人がアルバイトをしていたのではないでしょうか。僕は色々しましたが一番身近なアルバイトは同じ上野公園内東京都美術館の公募展の審査時の作品移動と絵の飾りつけです。接客業は苦手なので一度もしたことがありませんでしたが、NTTの夜間、と言っても夕方の6時から10時半までですが、100番通話の電話交換手を長いことしました。これは大家さんの電話を借り、使用料金を知りたいときなどに通話する前に100番にかけるのですが、携帯電話の普及している現代ではほとんど利用されないでしょう。多分30種類ぐらいのアルバイトをしたと思うがすっかり忘れてしまいました。

芸大でのクラブ活動はテニス部と演劇部で舞台にも立ちました。そう、ここで思い出したのですが、俳優小劇場の「オイディプス王」の公演でコロス役のエキストラのアルバイトは面白かったですね。オイディプス役の小山田宗徳さんの存在感、演技が素晴らしく、圧倒されてしまいましたが、舞台俳優はTVの表情とはまるで違っていて、市原悦子さんの「アンドロマック」などは良く通る美しい声と素晴らしい演技に心から感動してしまいました。高校の時は放送部で放送劇をしていましたから、結構舞台に立つのが好きなのかも知れません。

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ギュスターヴ・モローのオイディプスとスフィンクス

悲劇「アンドロマック」はフランスの劇作家ジャン・ラシーヌの作です。ガブリエル・フォーレはラシーヌの詩による「ラシーヌの雅歌」という混声の合唱曲を作曲しました。

Cantique de Jean Racine

現在も変わらないと思うのですが、当時の東京芸術大学には美術学部と音楽学部があって、美術学部は日本画、洋画、工芸、建築、芸術学科があり、音楽学部は器楽科の中にピアノ専攻とかヴァイオリン専攻とかそれぞれの楽器についての専攻があり、他に作曲科、指揮科、声楽科、邦楽科、楽理科があります。ヨーロッパでは美術と音楽が一緒になった大学というのは多分とても少ないし、Universityというのは総合大学のことですから、美術や音楽は専門学校となります。東京芸大も昔は専門学校という名だったはずですが、美術専門学校と音楽専門学校が接していたのでまとめて大学になったのだと思います。文部省管轄下で予算獲得などにおいてその方が好都合なのでしょう。

ヨーロッパでは音楽学校と舞台芸術(演劇とバレエ)は一緒になっている場合が多く、フランス語ではコンセルヴァトワールと呼ばれるのが普通で、コンセルヴェというのは保存とか維持するという意味ですから音楽は伝承芸術であるという位置付けからそういう名が付いたものと想像しますが、コンセルヴァトワールというのは基本的に国立であり、エコール・ド・ラ・ミュジークと呼ぶ音楽学校は私立学校になります。

東京芸術大学は上野公園の中、動物園の裏手にあり、東京文化会館、博物館、美術館が公園内にありますから環境は申し分なかったですね。公園内ですから店はなく、近くにはローソンもセブンイレブンもありませんでした、、、コンビニは当時は存在していなかったですね、、、長いこと行っていないけれど、谷中のあたりは変わったかな?

文部省管轄下ですから体裁は大学の形式を取らなくてはならず、教養課程というか学科もありましたが、何せ芸大のこと、実技には熱心でも学科に興味がある人は誰も居ず、身が入らず、とにかく単位さえ取ればよいという感じで、僕は教職過程を取らなかったので最初の1年でほとんど必修科目の単位を取ってしまいました。芸大に限らず、日本の大学の単位なんていい加減なものです。役に立つのはそこで勉強したと言うことより、そこを卒業したと言う肩書きなのではないかとさえ思えます。

音楽は技術が受け継がれていくものですが絵は結局は自分で習得するしかなく、芸大は大きな作品を描く場所を与えられ、望めば先生の適切な助言を得られると言う場だったと思います。

ところで石膏デッサンは日本では一般的で必須なのですが、ヨーロッパではほとんど行われないのではないかと思います。それは身近に本物の彫像がたくさんあるのと過去の芸術作品を写し取ることにあまり意義を見出さないからだと思います。ヨーロッパで人体デッサンが基本で、人の体が表現の源と考えるのではないかと思います。

日本でもそう考えたとしても裸婦を描く場は費用もかかりますから簡単には作れず、石膏像で代用することになるわけです。それではなぜ人体なのかということになりますが、西洋絵画のモチーフとしては写実に描く人物像が圧倒的だし、着衣であっても内側の人体の構造を知る必要があるからです。人体と言うものは誰でも持っているもので見慣れているからごまかしが効かなく、骨や筋肉や皮膚が有機的に機能、連動していて作為がない自然な美しさを作り出します。
異星人から見たらなんとも奇妙な生物に見えるとしても地球人にとっては全ての基本であり、人体の中に美を見出さなければ生殖も衰え、人類はこれほど繁栄しなかったかもしれません。

話が少し逸れましたが、なぜ男の裸体より裸婦を多く描くのでしょう。それは女体の変化が無限だからです。芸大でもたまには男のモデルが来るのですが、どうもポーズが定型化してしまうというか、硬いのでつまらないですね。女体だとちょっとひねったりすると流れのある美しいポーズがたくさん出来、乳房と重力が作り出す微妙な曲線も男性にはありません。あと人体の美しさの最大の特徴は皮膚が光を透過するということです。もしも人体がマネキンのように均質で光を通さなかったら、微妙な色彩を与える血管などが透けて見えず、光が作り出す限りない色彩と陰影の魅力も失せるでしょう。

芸大の1年と2年の基礎課程の頃は毎日のようにモデルが教室に来ていたと思うが、ほとんどの学生は人体デッサンに興味がなく、勝手な絵を描いていたのですが、今でも教室にモデルが来たりしているのでしょうか?

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アングルの「泉」とは関係ないけれど今日の音楽はフランソワ・クープランの「百合の花ひらく」です。

François Couperin: Les Lis naissans

浪人して御茶ノ水美術学院に通うことになりました。まあ、予備校なのですが、最初はデザイン科だったものの、油絵科の教室を覗いたりしているうちに、だんだん商業デザインではなく、だんだん本物の画家になりたいと思う気持ちが強くなってきました。自分に才能があるかも分からず、将来生活していけるのかも分からないのだけれど、そう思い始めるとなかなか諦めることが出来ないし、後先を考えないのが青春の、そして今だに変わらない僕の性格なのでしょうね。

だがデザイナーになると言った時は誰も反対しなかったけれど、さすがに画家になりたいと言った時はすぐには賛成を得られなく、親は学校の先生をしながら趣味で絵を描けばいいではないかと言ったので、そうだね、とかあいまいな返事をして、夏から油絵科に転向しました。学校の先生になる気は最初からなかったので教職課程の授業は取りませんでしたが、、、

浪人生活は完全に好きなことをしていたので悲壮感はなく、とても楽しかったのです。石膏デッサンは高校生のとき芸大出身の厳しい美術の先生に徹底的に指導されたので自信があったし、油絵の扱いにもだんだん慣れて来ました。油絵は乾燥に時間がかかるので何日もかけて完成させるのが普通ですが、受験のときは8時間で完成させなければならなく、乾くのを待っていては間に合わないので無理やり生乾きの上から重ねて行くのです。

石膏デッサンは院内のコンクールで1番か2番だったので問題なかったのですが、油絵は不慣れだったのと二浪している女性がデッサンは弱いものの色彩感覚がすばらしく、それは真似が出来ませんでした。色彩感覚は感性の問題で訓練である程度までは行くものの、多分に天性のものであると思います。色彩感覚の良い人は女性に多く、そういう人は造形的にはやや弱いという傾向があります。

例えばセザンヌは造形を追求した人で、ボナールは色彩を追及した人の代表でしょう。マリー・ローランサンはド近眼で、ぼやっとしか見えなかったからああいう絵になったということですが、はっきり見えてしまうとちょっと描けないような絵かもしれません。

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セザンヌ

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ボナール

学院の油絵科では裸婦も描きますから、たとえ芸大入試の課題が裸婦であっても、問題ないでしょうが、地方から現役で受験し、いきなりヌードだったら緊張して思うように描けないかもしれません。

試験なんてそのときの運がありますし、まして絵の審査という主観的な判断に委ねるとなると絶対合格するなんていうことはあり得ないのだが、自分が落ちたら誰が行くの?ぐらいに思っていて、いずれは先生よりもいい絵が描けるようになるだろうという恐れを知らない、若さゆえの自信みたいなものと、経済的な理由から私立と二浪はだめと言われていたので、東京芸大しか受けるところはなかったので不安もあったと思うのだが、当時は学校のテストから開放され、好きなことだけをしているという満足感が強かったようです。

芸大入試のときの主任試験官が小磯良平先生だったのは、自分の絵が強い個性を主張するのでなく、調和を目指す傾向だったので良かったのではないかと思う。石膏デッサンはギリシャ婦人が当たり、油絵はセミヌードでした。好調だったので落ちるとは思わなかったもののやはり受かったときはうれしかったですね。油絵の成績がとても良かったと後で聞きました。

というわけで芸大に入学し、学生生活が始まるのですが、いくら競争率が高いとは言え毎年60人も入れるのですから卒業してから画家として生き残っていく厳しさに比べたらなんでもありません。

画家には自分の意思でなったものの、いくつかの偶然というかチャンスの積み重ねによるものだと思う。小学生の時も中学生の時も絵は得意だったが、理数系の学科の方がもっと得意だったから自分も周囲も理数系の方に行くと思っていた。高校はどこでも受かったので成り行きで進学校に。

当時東大合格全国1位を別の都立高校と激しく争っていたからほとんどの生徒は2年生から東大を目指して勉強することになるのだが、中学ではトップクラスだったものの、そういう生徒の集まりのなかでさらにトップクラスになるというのは大変なことで、すごい人がいると思い知らされる訳です。

部活はクラシックのレコードがたくさんあって聴けるからという理由で放送部に入ったから、その頃から音楽を聴くことは好きで、教室の席の回りもクラシック音楽が好きな人が多くいて、曲や演奏についてよく話していた。学校の図書館にも通いつめ、本もよく読んだから、高校に入って急に文系にシフトし始め、同時に数学に興味がなくなってしまい、東大に行きたいという気にもならなかった。当時美術と工芸と音楽のうち2科目を選択しなければならなかったが、音楽は聴くのは好きだけど歌うのが嫌だったので美術と工芸を選び、それはどちらもトップだった。

そうか、自分は絵のほうだと何の苦労もなくてトップになれるということが分かり、当時はデザインや建築は花形の職業だったから、芸大を受験することに決め、毎日放課後美術室でデッサンをし、芸大の学科試験を落ちた人は過去1人もいないということを聞いたので安心して勉強はしませんでした。

現役のときはデザインの方を受けたのですが、ほとんど石膏デッサンしかしてなかったのに籠に入った生きて動いている鶏を描くという想定外の課題で、浪人して美術研究所で訓練している人には敵いませんでした。ということで落ちて、絵だけを描いていれば良いという楽しい浪人生活に入ります。

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良くデッサンしたダヴィデ像は髪の毛が難しかった。その後フィレンツェのアカデミア美術館で何度か見たが本当に美しくて感動してしまう。

フィレンツェを流れるアルノ川にポンテ・ヴェッキオという有名な橋がかかっている。
「あの人との結婚を許してくれないならこの橋から身を投げてしまうわ」、と歌うプッチーニのオペラ、「ジャンニ・スキッキ」からヘイリーの「わたしのお父さん」

O Mio Babbino Caro - Hayley Westenra

昨日アメリカ人にオバマは演説がうまく、原稿を見ていないようだからすごい!日本の政治家は下を向いて原稿を読むことが多いと言ったら、そんなことはない、よく左右を向くからプロンプターがあるだろうと言った。うーん、そうかー!それはあり得るなと思った。

プロンプターといえば普通はオペラのとき歌手に歌や台詞の出だしのところを直前に知らせる人のことで、歌舞伎の黒子のような存在だと思うが、何しろオペラは長丁場だし、練習のときは覚えたつもりでも舞台に出れば突然歌詞を忘れないとは限らないし、出だしを失敗したら音楽や舞台の流れは完全に狂うからプロンプターが前もって教えてくれなければ不安が消えないでしょう。母国語ならまだしも外国語だったらさらに不安が募ります。歌手としては曲の頭のフレーズさえもらえれば後は何とかなるし、たとえ間違えてもそれほど気付かれずに済むでしょう。プロンプターの声が客席に届かないのなら何の問題もないが、あまり小さい声では歌手に聞こえないし、大きければ聴衆には耳障りになる。

演説の場合はもちろん黒子がささやくわけではなくて、スクリーンに文字が映し出され、それにチラッと目をやりながら話すと言うことなのだと思うが、何も完全に暗記している必要もないし、不要な失言もしなくても済むのでいいことだと思うが、要はいかにプロンプターの存在を悟られないようにする、あるいは忘れさせるような演技力の問題でしょう。

今回のカザンのコンサートも暗譜ではとても無理で、譜面を見ながらです。イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語の歌が混ざっているのでとても全部は覚えきれないし、歌いだしのタイミングが難しい曲もある。若い頃だったら自然に覚えてしまうものでも年齢とともに暗譜が苦手になってくるのは致し方ない。

僕の場合小さい頃から音楽をしていたわけではないので、楽譜を見て反射的にその音に手が行くというのは羨ましくもあります。でも考えてみるとピアノの鍵盤だって88鍵しかないし、楽譜だって上下でたった10線しかないから、小さいときから訓練すれば出来て当たり前なのかも知れないが、同時に5つぐらいの和音を聴き取る聴音の能力はやはりすごいなと思いますね。

人が訓練をして能力を向上させるということは素晴らしいと思うのです。音楽や絵画は奥が深く最終の到達点がないから、難しくもありやりがいがあります。ある地点まで到達するとその先が更に見えてくるのは、どうしても技術が追いつくには時間がかかるということでしょう。また技術を追求していくうちに新しい物が見えてくるということもあります。

今日の音楽は昨日コメントをいただいたshizukaさんがオンブラ・マイ・フよりの好きというヘンデルの「私を泣かせたまえ」を映画「カストラート」から

Farinelli - Lascia ch'io Pianga

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バロック時代に一世を風靡したカストラートのファリネッリ

オバマ大統領は本当に演説が上手ですね。同じ内容だってもしほとんど下を向いて原稿を読み上げていたら人の心を打つことが出来るでしょうか?オバマ大統領は声量があるし声に張りがあるから歌を歌ったら上手だろうなと思います。聞いている人が乗せられるのは英語のイントネーションやシラブルのリズム感の心地よさにもあると思うのですが、彼のゆったりとした明快な発音はオペラのレチタティーヴォ(叙唱・・・オペラの歌うように発声する台詞)のような響きさえあると思うのです。人々を勇気付け引っ張っていくためには言葉を聞く人の心に響かせなくてはならないと思うが、オバマは政治家の最も大事な資質を備えているのでしょう。演説の上手な政治家は過去にもたくさんいました、というより欧米では演説が上手でなかったら政治家になれないのではないかと思うのですが、ヒットラーなどは自分の演説に酔い、その高揚感で人々を扇動できたのでしょうね。フランスではミッテラン大統領が明瞭な発音と分かりやすいフレーズでオバマ大統領に通じるような演説の力強さがあったと思います。ラテン民族はもともとおしゃべり好きで言葉を発しなければ何も伝わらないと徹底して思っているし、政治家になるためには論戦で勝てる力が必要とされるので、練磨されて成り上がった政治家は当然演説が上手ということになるのでしょう。

それぞれの国民性の違いというのはあるでしょうが、日本との一番大きな差は教育の基本の違いだと思うのです。例えばフランスなどでは確か小学校のときから哲学の授業があったと思うのです。哲学と言うのは物事の本質を究めることですが、それを言葉に置き換えることが出来なければ人には伝わりません。こういう作業を小さい頃からしていれば、作文の訓練になり、自分の思考が蓄積され、大人になった時にスムーズに自分の考えを述べることが出来るようになるのではないかと思うのです。
日本と欧米では算数や理科は差がないか、むしろ日本の方が勝っているのではないかと思うのですが、自分なりの考えを持って、文章に出来る能力は大変な差があると思うのです。哲学の授業で良い点を取るには平凡なことを言ってはだめで、個性的な際立つ説得力が必要です。

日本の少年や少女がすぐに切れてしまうのは日本の刺激的な社会のストレスのせいもあると思うのですが、言葉で表現することが苦手な子供が多いという部分もあるように思います。言葉で発せないから内に感情やわだかまりがこもり、飽和状態になって爆発するのではないでしょうか?フランスの子供たちの喧嘩は言葉で激しくやりあいますが終わればけろっとして根に残らなく、陰湿ないじめや殺傷事件は少ないようですが、それはラテン気質の特徴であって、同じヨーロッパ人でもイギリスではもう少し湿っているように感じます。
それは天候のせいもあるでしょうね。南に行けば行くほど楽天的になるのは、温暖な気候ならば衣食住はどれも楽だし、北では長く暗い寒い冬を耐えなければならないのでそれほど楽天的にはなれないのは無理からぬ事で、同じフランス人でも北では南の人はいい加減なこと、うそばかり言うと話していました。

話が逸れましたが、日本の政治家は地獄だと言われないためにはまず第一に哲学を持つこと、分かりやすい心に響く演説をすること、どこでもいいから最低2年は海外で生活し、国際感覚と語学を身に付けて欲しいな。

オンブラ・マイ・フ レチタティーヴォとアリアの例

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オンブラはイタリア語で影を指します。「懐かしい木陰」あるいは「やすらぎの木陰」とも訳されるようですが、直訳すれば「今までになかった陰」となるようです。ヘンデルのオペラ「セルセ」の中で、ペルシャ王が庭園を散歩しながらプラタナスの木陰で歌うカウンターテナーの曲です。

レチタティーヴォ

私の好きなスズカケの木の
柔らかく美しい葉よ、
運命はお前達に輝いている。
雷鳴や稲妻や嵐が
決してお前達の平安を乱すことなく、
貪欲な南風もお前達を冒涜することの 無いように。

アリア

Ombra mai fu di vegetabile, 樹木のしたで、これほど
cara ed amabile, soave piu. いとしく愛すべく快いものは無かった。

キャスリーン・バトルのオンブラ・マイ・フ

9月からブログをお休みしてカザンは歌を歌ってました。

もともと歌が得意と言うわけではなく、今までコーラスはおろかカラオケも一度もしたことがなかったのですが、歌を歌うことになったきっかけは、去年の5月の花フェスタ記念公園での展覧会の折、ホテルでたまたまTVの「アンビリーバボー」という番組を見て、イギリス人のポール・ポッツという携帯電話の販売をしている人がお笑いとか大道芸とかのなんでもありの視聴者参加番組で場違い的にプッチーニのオペラの「誰も寝てはならぬ」を歌って優勝し、念願の歌手になってしまったというエピソードを見て感動して自分も歌ってみたいなと思ったこと。しかしながらポッツは少年時代から歌を歌っていて生活が苦しい中でもヴォイス・トレーニングを続けていたのにカザンは62歳まで全く歌を歌っていなかったのですから、、、、

予選大会でのポール・ポッツ

まずはシューベルトの歌曲集「冬の旅」の楽譜を取り寄せて第一曲目の「おやすみ」を歌い始め、たまたま知り合った音楽高校のピアノ科の教師を定年退職した市村俊雄さんのピアノと合わせてみました。
生のピアノと合わせるというのは気持ちが良いですね。市村さんもシューベルトが大好きで、どうせなら24曲全曲練習しましょうということになり、少しずつレパートリーを増やしていきました。

ピアノの練習室は防音室になっているので響かずとても歌いにくいのですが、良く響くところで歌ってみたいというのと、人の前で歌ったらどういうことになるのかなという気持ちから、コンサートをしようということでホールを予約し、ついでに展覧会もということでギャラリーを借りました。

歌い始めて半年でリサイタルというのはちょっと無謀なのですが、まあ目標があれば練習の励みにもなりますし、恥をかくのを恐れていては前に進みません。ということでまずは青森県の三沢市で3月1日に、十和田市で4月5日にコンサートと展覧会をいたします。東京は今のところ4月30日の予定で、中部地方で5月末にシャンソンのコンサートを予定していますが、詳しくは3月以降にホームページでお知らせいたします。

宇藤カザンバリトン・リサイタル

Never too late! 新しいことを始めるのに遅すぎると言うことはありません。

「地獄のギャロップ」はフレンチ・カンカンの曲でもあって、パリのキャバレー・ムーラン・ルージュの代表的な出し物です。
ムーラン・ルージュは「赤い風車」という意味で、モンマルトルには他にも風車があるから1889年の開業当時は風車が広告塔としてはやったのか、実用性もあったのかは知らないが、もう120年も営業し続けているというのはすごいことですね。今でもモンマルトルにはブドウ畑があるくらいだから、120年前は小麦を挽くための風車が多くあったに違いない。

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トゥールーズ・ロートレックがこのムーランルージュに通いつめたことは有名で、ポスターや踊り子たちの絵をたくさん描いています。

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モンマルトル界隈は日本で言えば浅草とか新宿歌舞伎町に当たるのかな?

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ムーラン・ルージュでは夜になるとショーが始まりますが、観光バスが続々と到着し、夜が更けるに従って人があふれてくる感じです。

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「天国と地獄」といえば音楽ではオッフェンバッハの喜歌劇ですね。オペレッタ「天国と地獄」の原題は「地獄のオルフェ」ですが、「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂~」の原曲は劇中の「地獄のギャロップ」という曲になります。

オーケストラによる「地獄のギャロップ」

文明堂のCM

そして1963年に公開された黒澤明監督の映画「天国と地獄」は実に、実に、面白かった。
「羅生門」、「七人の侍」、「生きる」などとともに黒澤映画の最高傑作でしょう。

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こちらはフランスのコンクにあるサント・フォア大聖堂のタンパンの天国と地獄。日本にも極楽浄土と地獄があるから、生きている時に善行をしなさいという教えは世界共通なのかもしれない。

ところで多分フランスの小話だと思うが、「天国と地獄」について、、、、、

天国にはスイス人の役人がいて、地獄にはフランス人の役人がいる。
天国にはフランス人の料理人がいて、地獄にはイギリス人の料理人がいる。
天国にはイギリス人の警官がいて、地獄にはドイツ人の警官がいる。
天国にはドイツ人の技師がいて、地獄にはイタリア人の技師がいる。
天国にはイタリア人の恋人がいて、地獄にはスイス人の恋人がいる。

というのだが、番外編として

天国には日本人の奥さんがいて、地獄には日本人の政治家がいる。

と言うのも聞いたことがある。

シャルル・アズナブールの歌にも「ラ・ボエーム」があって、大好きなのだが、この主人公も画家である。ところでオペラや歌に出てくる画家は必ず貧乏であって、リッチな画家の例を知らない。どこの国でも画家=貧乏という図式が定着してしまい、貧乏画家という熟語だって一般的だ。

ところで英語で画家はペインター、フランス語ではパントルといってペンキを塗る人、つまりペンキ屋ということで、ただパントルといったのでは画家かペンキ屋か区別が付かない。イタリア語では画家はピットーレで地域によってはペンキ屋でもあるが、別にヴェルニキアトーレという、ペンキやニスを塗る人、つまりペンキ屋という単語もあるようだ。

どうして単語が一つしかないかはオペラを見て分かった。多分「ラ・ボエーム」だったと思うが、画家がアルバイトで町の店の看板絵を描く場面があって、キャンバスに向かっているだけではパンが買えないので、看板の仕事をするのは一般的だったからペンキ屋も画家も同じということになったのだろう。

日本では町のペンキ屋の腕の見せ所は銭湯の看板だっただろう。なんといっても海と富士山が定番だったと思うが男湯と女湯では絵が違ったのだろうか?
看板絵もほとんどなくなってきて、今は広告代理店にでもなっているのだろうか。

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話が逸れたがアズナブールの「ラ・ボエーム」は画学生だった男が20年後に、かつて住んでいたモンマルトルのアトリエ、と言っても小さな屋根裏部屋だったかもしれないが、を訪れ懐かしむという内容だが、学生時代をパリで過ごしたカザンにとってはオーバーラップするものがたくさんあり、ジーンと来てしまう。

リラが窓辺まで届いて咲いていたアトリエは僕たちの愛の巣。夜が明けるのも気が付かないほど熱中して彼女のヌードをデッサンし、何度も乳房や腰の曲線を描き直し、充実した疲れの果てに二人で夜明けのカフェオレを飲む。
暖房の石炭を買う金のないときは火の気のない部屋を出てカフェに仲間と集い、ストーブを囲んで熱く語り合い、詩を朗唱したりして冬が過ぎるのをじっと待った。そしてあの頃は誰もが自分の才能を信じ、未来の栄光を夢見ていた。
いつも餓えを叫び、一日一回しか食事を取らず、たまにビストロで食事をするときは1人分の料理を二人で分け合って食べたが、若かったから、それも楽しい思い出、青春は美しくもあり、おろかでもあった。
偶然以前住んでいたところを通りがかったが町の様子は悲しげで、すっかり変わってしまい、階段を登ったところにあったアトリエはなくなって別の人が住み、リラの木は枯れていた。


大体こういう内容だがカルチェラタンあたりのカフェの情景が脳裏に浮かび、青春はおろかであったという言葉にひどく納得してしまう。最も今だにおろかさは持ち合わせているので、心は青春謳歌?

前にも書いたがこの内容を日本語に訳詩すると相当削らなくてはならなくなる。なかにし礼の訳詩が一般的だが大体シャンソンになるときれいな言葉が並ぶことになっている。

だからヌードとか裸婦という言葉は使われないのだが、彼女のヌードを描くと言うのはとても大事な要素だと思う。一つにはお金がないからプロのモデルは雇えないということを暗示し、彼女を愛しているからありのままの彼女を描きたく、また彼女も彼のそういう気持ちに応えたいという愛の表れでもあるし、若い女性の飾りを取った、けな気な裸体の美しさが絵のようでもあり、冷えた体を温め、休みなく絵筆を取り続けた疲れを癒す、熱い一杯のカフェオレが体にも心にも沁み入るのだが、日本語で「彼女をモデルに絵を描く」では誰もヌードだと想像しないし、着衣だったら貧しさも、青春の美しさも、カフェオレの効果も半減すると思うのです。

だがいざ自分で訳してみるとなかなか歌の中に裸とか乳房いう言葉は入れにくい。ヨーロッパでは女性の裸体は美の女神であるヴィーナスそのものだし、古今の絵や彫刻に表現され続け、誰もが見慣れていて、憧れに通じるものがあるように思うが、日本ではむしろ隠す方向に向いているから何となく言葉が露骨に感じてしまうのだろう。

ところで画学生だった男の20年後はどういう職業なのかは歌詞の中には書かれていない。きっと彼女とは別の人と結婚し、平凡な家庭を持ったサラリーマンでしょう。

「セ・ラ・ヴィ」・・・・人生とはそんなものです。

アズナブールの「ラ・ボエーム」 

アズナブールの「ラ・ボエーム」LIVE



去年は岐阜県の「花フェスタ記念公園」のバラ園で展覧会をしましたが、今年も5月に予定しています。また群馬県のアンディ&ウィリアム・ボタニック・ガーデンには版画作品が展示されていますが、今年はさらに作品を充実させたいと思います。

今年はコンサート&展覧会をセットにした企画を全国的に展開したいと思っていて、3月は三沢、4月は十和田、仙台、東京、5月は名古屋、大阪方面、6月はできればフランスとイギリスで、夏は北海道、信州方面、秋からは姫路、岡山、広島、九州方面へとコンサート&展覧会ツアーをしたいと考えています。

旅から旅へまるでジプシーのような生活ですが、ジプシーはフランス語ではボエミアン(ボヘミアン)、そしてまたジプシーのように生活しているアーティストも同じくボエミアンと言いますが、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」も貧乏な詩人”ロドルフォ”と体の弱いお針子”ミミ”の悲しい物語で、オペラの原作は「ボヘミアンの生活の風景」と言うタイトルが付いています。

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このオペラはクリスマス・イヴのパリのカルチェ・ラタンの物語で、何年か前にパリのオペラ座で観たが、フランコ・ゼッフィレッリの舞台装置が素晴らしく、第一幕の暗い室内の場面から第二幕の舞台が二層になっているパリのカフェと広場の情景に切り替わると、明るく華やかな美しい情景に誰もが思わず感動の声を上げてしまいます。これがオペラの楽しみの一つなのですが、ゼッフィレッリのような装置はとんでもなくお金がかかりますから、簡略化されることも多く、舞台にほとんど何もないような抽象的な演出だとがっかりすることが多い。まあ予算あっての事だから仕方がないのだろうが、、、

第一幕でロドルフォのもとへミミが火を借りに来て鍵を落とす場面。暗がりの中で手が触れ、ここから恋が始まります。

アラーニャの歌う「冷たい手を」

次いでミミが可憐に語るように歌う。

ゲオルギューの歌う「私の名はミミ」 

お針子の”ミミ”は結局病気が治らず、最後はロドルフォのそばで死にたいと願う。

ゲオルギューとアラーニャによる終幕

舞台が終わって外に出てもそこはやはりパリ。ギャップがないのがとてもいいのです。


バラを歌った歌は結構たくさんあります。

シューベルトの歌曲の「野ばら」、「ばらの絆」、フォーレの歌曲には「バラ」「イスファーンのバラ」があり、ヨハン・シュトラウスの「南国のバラ」、リヒアルト・シュトラウスのオペラ「バラの騎士」、「庭の千草」の原曲は「夏の名残のバラ」だし、まだまだいくらでもあるでしょう。

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The Last Rose of Summer

ところでエディット・ピアフが歌う「ばら色の人生」は彼女の代表作ですが、1945年の曲だから戦時下で歌われていたわけで、彼女の歌がどれだけ多くの人に勇気と希望を与えていたかは想像できる。ピアフは俗語で雀のことだが、非常に小柄だったから付けられた愛称で、彼女ほど多くのパリジャン、いや世界中に愛された歌手は稀でしょう。

彼女はパリのペールラシェーズ墓地に埋葬されています。

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Edith Piaf "la vie en rose" ばら色の人生
 
Edith Piaf "la vie en rose"Ⅱ ばら色の人生Ⅱ

Edith Piaf "L'Hymne à l'amour"愛の賛歌

「百万本のバラ」という歌があります。

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日本では加藤登紀子が歌っていたようで、その頃日本に居なかったので聞いたことがありませんでしたが、去年の花フェスタでの展覧会の折に清水美帆さんが歌うのを聴いて、貧しい画家が女優に恋をした歌があるのだと初めて知りました。
原曲はシャンソンかと思いきやなんとロシアの歌なのですね。
そこで多分最初に歌ったと思われる歌手のU-Tubeを見つけて聴いてみました。

ロシア語で歌っているのですが、所々日本語のように聞こえてしまいます。皆さんにはどのように聞こえるでしょうか?

「もう来なくていい」というのと「黄桜、黄桜、黄桜」です。

Alla Pugacheva-1983 Million Roses


このブログのタイトルのVissi d’arteはプッチーニのオペラ、トスカの中でトスカが第2幕で歌う「歌に生き、恋いに生き」からとったものだが、オペラの中で最も感動してしまうアリアです。
Arte イタリア語のアルテは英語のアート、つまり芸術ですね。

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トスカはストーリーが実にドラマチックに出来ていて、音楽の密度も高く、間違いなくプッチーニの最高傑作でしょう。第3幕で歌われるマリオ・カヴァラドッシの「星は光りぬ」(星はきらめき)の「今までこれほど生命をいとおしく思ったことはない!」・・・・つまり「こんなに若く死にたくない、もっと生きたかった」ということだが、マリオは画家であるから、なおさらいとおしく感じてしまい、ジーンと来てしまう。そして同時に「僕はこんなにも長く生きてしまった」といつも思うのだった。

プラシド・ドミンゴの「星は光りぬ」 

僕が持っているトスカのDVDはゲオルギュ&アラーニャ盤とマリア・カラスのパリ・デビューの第2幕のみのものだが、トスカ役は何と言ってもマリア・カラスが最高です。彼女の声は美しいだけでなく「殺意」が感じられ、その美貌と相まって世紀の歌姫であることは間違いないでしょう。

マリア・カラスのトスカ(コヴェント・ガーデン)1964年

マリア・カラスのトスカ(パリ・デビュー・コンサート)1958年

僕としてはパリ公演のときのマリア・カラスの方が何か初々しさもあって断然好きで、何度聴いても感動してしまう。この演奏会の模様はTVで中継され、カラスの世界デビューとなりました。前半のノルマのアリアなども本当に素晴らしい限りです。

いつかオペラを歌ってみたいと思うのだが、カヴァラドッシはテノールなので音域的に無理。残念ながらスカルピアになると思うのだけれど、誰かトスカを歌って僕を殺してくれる人はいませんか?

近くのアイススケート場で学生のフィギュア・スケート選手権大会があるというのを大会関係者から聞いたので、昨日の午後はスケート場で過ごしました。寒かった~~。

浅田真央はまだ大学生でないので来ていなかったけれど、女子のフリーは優勝した早稲田大学の武田奈也さんの演技が圧倒的に素晴らしく、感動しました。スケート場内は撮影禁止だったので画像がありません。

武田奈也さんのフィギュア・スケートの写真

フィギュア・スケートの競技を見るのは大好きだが、やはり生の競技はいいですね。最近の振り付けは洗練され、コスチュームのデザインも申し分ありません。
日本のフィギュア・スケートの水準がこんなにも上がるなんて10年前には想像できませんでしたが、本当に芸術的な表現がうまくなりました。キム・ヨナも素晴らしいし、フィギュア・スケート界はアジアの女性が席巻している感じです。世界のトップレベルのコーチをつけたり海外でトレーニングしたりと経済的にも強くなければ出来ないことです。

ところで荒川静香のトリノ・オリンピックの演技は本当に素晴らしかったですね。曲も良かった。
プッチーニのオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」をどうぞ。

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プラシド・ドミンゴの「誰も寝てはならぬ」 

ルチアーノ・パヴァロッティの「誰も寝てはならぬ」 

ドミンゴの画像はメトロポリタン歌劇場での公演のDVDものだが、ゼッフィレルリの演出、装置が圧倒的に素晴らしく、ドミンゴのカラフ王子、トゥーランドットのエヴァ・マルトンはもちろんだが、リュー役のレオーナ・ミッチェルの歌が感動的です。

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平原綾香の歌うショパンのノクターンをアレンジした「カンパニュラの恋」には英語と日本語のヴァージョンがあるが英語と日本語では歌詞の内容が違う。また同じメロディーでも英語と日本語では聴いた感じが違い、強いて言えば英語の方がジャズっぽいということか?

平原綾香の歌う「カンパニュラの恋」 日本語ヴァージョン

英語で歌われた「カンパニュラの恋」 訳詩付きヴァージョン

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遊び半分に今英語版をフランス語に訳している。歌詞はもちろんメロディーに沿っていなければならないがフランス語に訳すと長くなりすぎて字余り的になり、どうしても単語を略さなくてはならなくなる場合もある。しかし何一つ余分な単語のない歌詞から単語を削るのは難しい。

しかしこれがフランス語のシャンソンを日本語に訳すとなるともっとひどいことになる。と言うのは日本語の歌詞は原則として一つの音符に単語の中の一つの音だけだが、フランス語では一つの音符に一つの単語を振り分けられるので同じ歌でも3倍ぐらいの情報量を盛り込むことができる。例えば「こころ」には3つの音符が必要だがフランス語や英語では1つのの音符で済む。

そのため日本語の歌だと物語性が希薄になり、愛とか恋とか涙とか情感に訴える単語の羅列になりやすく、無理に単語を詰め込むとシャンソンがラップみたいになってしまうのだろう。逆に言えばいかに少ない単語で原曲の雰囲気を出すかが訳詩家の腕の見せ所だろうが、フランス語の持つ内容と味を伝えるのは和歌をフランス語や英語に訳すのと同じくらい難しい。

またフランス語の歌詩はほとんど脚韻を踏んでいるが日本語に直すとそれが消える。脚韻とは和歌の五、七、五、七、七調と同じくらい詩の根幹的な要素で、リズムを生み出し、心地よさを誘うものだが。

日本では原語で歌っても誰も理解できないとしても、シャンソンやフランスの歌曲には魅力的なメロディーが多くて個人的には共感できる。演歌よりもずっと馴染めるのは日本人のアイデンテティを失っている証拠かも知れないが、ずっと西洋音楽の教育を受けて来たわけだし、音楽には国境がないということだろう。

コリダリスにはエンゴサクと言う和名があるのはドラマの「風のガーデン」で初めて知ったのだが、北海道にはエゾエンゴサクの自生地があって群生しているころがあるようです。
漢字では蝦夷延胡索と書くのですね。 コリダリスには色々な色があるがなんといっても鮮やかな青い花”チャイナ・ブルー”が魅力的。

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チャイナと言うようにもともとは中国が原産で、日本には薬草として入ってきたようだ。高温多湿には弱いので東京あたりで夏を越すのは難しいが北海道では冬は雪に覆われ夏は涼しいので夏越えが出来る。

エゾエンゴサクとコリダリス”チャイナ・ブルー”は異なる品種に見える。エゾエンゴサクの方は野生的で地味な印象だがチャイナ・ブルーは園芸種的に花も大きく青い色彩も鮮やかな感じがする。「風のガーデン」で使われていたのはエゾエンゴサクではなく、コリダリス”チャイナ・ブルー”にしか見えなかったが、野生種は勝手に採取することが出来ず、ドラマでは代わりに市販されている”チャイナ・ブルー”の球根を使ったと言うことだろうが、フィクションだから許される。

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また貞美の使っていたキャンピング・カーが移動したあと、周囲にエンゴサクが咲いていてキャンピング・カーのあったところだけ地面が露出していたが、いくら数ヶ月間車の陰になっていたからといって、春になって下草の一つも生えないなんてあり得ないと思ったが、それはドラマを効果的に見せるための演出であり、その着想に敬意を表する。

ついでながらキャンピング・カーと言っては英国では通じないでしょう。フランス語でも同じだがキャラヴァンと言う。和製英語なのかあるいは米語なのかは良く知らないが、、、

ところでヨーロッパでは長い距を持つこの花を小さな魚に見立てるが、確かに小さな青い魚の群れが泳いでいるように見えませんか?



ブログをお休みして四ヶ月が経ち、年が明けてしまいました。今は冬でもありますし、あまり花のことを考えるでもなく、花中心の生活をしているわけでもありませんので、花とガーデニングをテーマにしたブログを更新するには無理があります。

それに何年か続けていると、前にも書いたかも知れないと思うようなことが多くなり、だんだん花のことについて書くことがなくなってくるような、マンネリ化してくるような気がしてきました。
書きたいと思うよりもランキングに参加していることで半ば義務的に時間を費やしている気分にもなり、もっと別のことに時間を振り分けたいという気持ちが強くなりました。

既に62歳になり、残された時間をどう使うかをいやでも考えさせられますが、自分にとって最も大切なものは絵画と音楽と花であることには揺るぎがなく、さらには愛を加えても良いかもしれません。
花の中には美しい自然をも含みますが、いずれにしろ芸術や感動を求める生活です。

連続ドラマの「風のガーデン」をご覧になった方も多いのではないかと思うのですが、久しぶりに感動させられました。そこには、愛、花、音楽がたくみに組み合わされていて、まさに自分が望む世界で、脚本、演出、俳優、音楽のどれもが極めて水準が高く、粗雑なものが何一つない、長期に渡ってていねいに作られた美しい画面に引き付けられてしまいました。花の美しさと北海道の自然が実に魅力的で効果的だったのは言うまでもありませんが、改めて花の存在ってなんだろうと考えさせられます。

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また、最後に流れる平原綾香の歌うショパンの嬰ハ短調の遺作のノクターンをアレンジしたエンディング曲は彼女の声の魅力と曲の格調の高さがあいまって、とてもとても気に入ってしまって毎日のようにU-Tubeで聴いているので、パソコンに向かっていても頭の中に曲が鳴り響いています。楽譜も出版されているのが分かったので取り寄せて歌ってみたいと思うのですが、、、、平原綾香の声の印象が強く、もしかしたら前期高齢者かもしくは末期中年組みの僕が歌ったらどんなことになるのか、、、、

平原綾香のノクターン《カンパニュラの恋》 U-Tubeより

ショパンの遺作のノクターンは遺作と言うからにはショパンの死後に出版されたのですが、実はかなり若い頃に書かれたもので、彼の最初に書かれたF-mollのピアノコンチェルトの練習用として作曲されましたが、練習用と言うには目立って同じ音型は一ヶ所しかなく、完全に独立した作品となっています。
また本来はノクターンと言うショパン自身の表示がないのですが、ほとんどのピアニストがノクターン全集のCDで演奏しているにもかかわらず、ポリーニはこの通称20番も、もう一つの遺作の21番もノクターン集に入れていません。ほとんど世界的にノクターンとして認知されているのに、そこまで頑なに拒否しなくってもいいのにと思うのだが、、、、

さて誰の演奏が好みかと言えば、今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも指揮をしたバレンボイム(変換したらなんだか怪しげな《場恋慕医務》なんて出てしまった・・・)のゆったりしたテンポの繊細で透明感のあるタッチの演奏が好きです。

この曲の特徴は平原綾香の歌うノクターン《カンパニュラの恋》にも使われている高音から三連符で下降する哀しく切ない感じのメロディーが印象的ですが、甘さと諦めと慰めの感情が入り混じっているように感じます。ショパンの曲の中でもノクターンやマズルカは特にテンポの緩急に弾く人の個性が現われると思うのですが、小曲ではあってもいろいろなフレージングが考えられ、尽きぬ魅力があるでしょう。

またこの曲はおもにアンコール・ピースとしてのヴァイオリン曲にも編曲され、ミルシュタイン版がとても魅力的なのですが、少女時代のサラ・チャンが完璧な演奏をしています。最近の彼女の演奏は派手すぎて、音楽的に成長しているかは疑問に感じますね。

サラ・チャンのショパンのノクターン

サラ・チャンのエルガーの愛の挨拶

それにしても花や音楽はどうしてこうも美しいのでしょう?嫌なことが多い世の中で自然が作り出した奇跡や天才が紡ぎ出した妙なる調べと絵という不思議なものに関わる2009年となることには違いないでしょう。


Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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宇藤カザンのホームページ

英国の庭園とコッツウォルズ、フランス花景色、水彩画作品を紹介。

http://utokazan.jp

宇藤カザンのYou-tube

ラ・ボエーム
想いの届く日
夜のタンゴ

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