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 コート・ダジュールのカンヌの近くのサン・ラファエルという街はいかにも地中海のリゾート観光地の雰囲気が漂い、夏には太陽と海を求めて人が押し寄せるだろうと思われたが、この街の近くにタヌロンという山があり3月にはミモザの花で覆われると聞いてブルゴーニュから「太陽の道」と呼ばれる高速道路を飛ばしてやって来た。

 葉山に住んでいた頃、鎌倉の駅から見える「レ・ザンジュ」というケーキ屋さんに2本のミモザの木があって、2月から3月初旬にかけてひときわ鮮やかな黄色の花をつけていたのを見て、葉山の家の周りに7本のミモザを植えた。

 ミモザはオーストラリアに多くの野生種があるが日本で一番多いのは「ゴールデンミモザ」または「ギンヨウアカシア」と呼ばれるもので香りはない。パリの花屋で春を呼ぶ花として売られる香りの強いミモザはフランスでは「イタリアのミモザ」と呼ばれ、柳のような葉なので「ヤナギバミモザ」、「四季咲きミモザ」などと呼ばれている。

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Acacia Saligna

 ミモザは寒さに弱いが葉山の気候は冬も暖かく、すぐに大きくなった。ミモザに限らすマメ科の木は生長が早いが、ミモザは特に早く、それだけに幹が柔らかくて風と雪に弱い。
 だから支柱をすると共に毎年花が終わると半分の丈に切り戻し、幹を太くする作戦に出た。この作戦は功を奏し、まだ花がない春一番に鮮やかな黄色で道行く人を楽しませ、青みがかった銀色の葉がおしゃれな感じの庭にしてくれた。

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Bormes les Mimosa

 さて、タヌロンの山はミモザの木で覆われていたが、ここのミモザは銀葉アカシアではなく、「フサアカシア」と呼ばれる高性のもので香りも良い。南仏にはボルム・レ・ミモザという町があり、別荘地の家々にミモザが咲いていたが、ここからグラースまではミモザ街道と呼ばれていて華やかな黄色と香りが楽しめる。

 梅田の阪急で個展をした折に芦屋の山の上にある奥池の友人宅を訪れたが、なんと芦屋では野生化したミモザが山の斜面に咲いていた。芦屋の皆さん、もっともっとミモザを植えて南仏のボルム・レ・ミモザと姉妹都市になり、日本のミモザ街道を作りませんか?
 カザンはミモザ大使としてそのお手伝いをしますよ、なんちゃって。

今日はミモザのお菓子を召し上がれ。

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フランスのノルマンディーの新緑が始まったばかりの景色の中にポッ、ポッと淡いピンクのボンボリのように浮かび上がるのはりんごの花。 ノルマンディーはりんごの発泡酒のシードルを蒸留して作ったカルヴァドス酒の産地で殊のほかリンゴの木が多い。リンゴの栽培に適した気候なのだろう。

 ブルゴーニュの僕の庭にも大きなリンゴの木があって、老木だったが小さなリンゴがたくさん取れた。日本で売っているきれいなリンゴとは似ても似つかぬもので、食べてもたいして美味しくなかったが、こういう形も色も不揃いなリンゴは魅力的なモチーフなので枝や葉とともに花のブーケのそばにあしらった。

 そのまま食べても酸っぱいがアップルタルト(タルト・オ・ポンム)にすると美味しく食べられ、来る日も来る日もアップルタルトを食べても追いつかないから、ほとんどのリンゴは地面に落ちてしまうことになる。

 自宅のポストは家から130メートルほどプライベートロードを上がった村道沿いにあり、手紙を取りに行くのも息切れしてしまいそうなのだが、ポストに行く間の牧場との境にもリンゴの木はたくさんあって牧場側に落ちれば牛が食べ、手前に落ちれば車のタイヤに踏みしだかれるという運命が待ち構えている。フランス人も毎日タルト攻めでは参ってしまうので、どこでもリンゴは熟して木から落ち、見向きもされず朽ちていく。

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僕は普通のアップル・タルトより蜜っぽいタルト・タタンのほうが好きなのだが、タルト・タタンのレシピは偶然から生まれた。
 ある日タタンおばさんがタルト・オ・ポンムを作ろうと思ってリンゴを薄く切り、クリームペーストを作ったがそれをタルト生地にのせるのを忘れてオーブンに入れてしまった。オーブンの中はすでに高温。仕方がないということで下になるべきタルトの台を上から被せた。
 すると何としたことでしょう!普通の状態ではリンゴは直接オーブンの輻射熱を受け乾燥するのだが、リンゴが小麦粉の生地で覆われたことによって水分が抜けず、柔らかくカラメル色に焼けてとても美味しく出来てしまったのだ!

 やがてタタンおばさんのタルトは近所で評判になり、今やインターネットで世界にその名を知られることになったうっかりタタンおばさんは今どこに?ご機嫌いかがでしょうか?

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 ほんのりピンクががったリンゴの花にミツバチが飛び交うころは心ウキウキの季節である。
タタンおばさんにシードルで乾杯!

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藤の花に似たキングサリはロンドンでは葉桜になった頃に咲く。これは「キングサリ」と説明したところ、キング・サリーと勘違いした人がいたが、サリーの王様でもなければ、3Lサイズのサリーの布でもなく、まして太った大きなサリーおばさんでもない。

英名はゴールデンチェイン・ツリーだから金の鎖である。

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フランスでは野生で咲いているが日本ではあまり暑い地方では難しいようだ。
イギリスでは人気があり、アカシア・ゴールデンの黄色い葉と共に春の明るさと楽しさを演出してくれる。だが花が終わったあとは茶色の種がぶらさがったままになり汚い感じで、キングサリのところを曲がって、、、などと覚えておくと違いすぎる印象にたいていは素通りしてしまう。

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もっとも有名なのはコッツウォルズのバーンズリー・ハウスのキングサリと紫のアリウムのトンネルである。黄色と紫は補色関係にあり、お互いを引き立て合い理想の結婚といえる。

ローズマリーさんが亡くなってしまって庭はどうなるのだろうと思っていたら、向かいのパブが買い取ってホテルになり、宿泊客しか見られないようになった。

このホテルの宿泊料は高いけれど安いパブのインに泊まってランチをバーンズリー・ハウスで取れば庭は見られるが、以前よりも少し荒れたようだと聞いた。

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ウェールズのボドナント・ガーデンのキングサリの散歩道も素晴らしい。

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キングサリの英語の別名はゴールデンレイン・ツリー。金色の雨に濡れるのも悪くない。

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「ロンドンに桜はあるかい?」「イエス、ロンドンには東京の10倍は桜があるよ。」と僕は答える。

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ロンドンにこんなに桜があるとは思わなかった。パリではマロニエかプラタナスが主流で次に西洋菩提樹(ドイツ語でリンデンバウム、フランス語でティヨール)という感じで花木の街路樹は少ない。

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ところがロンドンの公園や住宅地には桜並木が至る所にあって4月のアヴェニューはため息が出るほど美しい。世界屈指のプラントハンターのイギリス人が日本の桜に目を付けないわけがなく、ガーデンセンターに行けばアケボノだろうがウコンだろうがシダレ桜だろうが何でもある。

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だからそのうち世界のサクラの名所はロンドンになると思っている。
ハイドパークで「月見に一杯、花見に一杯。」

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 今日はロンドンのスイセンということで春は駆け足、昨日の記事は伏線で明日には桜が咲いてしまう。

 さて、ロンドンを車で走っているとラウンド・アバウト(ロータリー)や公園の道路沿いにスイセンがたくさん植わっていてひときわ鮮やかな黄色が目に入ってくる。
 春先にはどうも黄色い花が多いように思うのだが何か自然界の法則があるのだろうか?野生のプリムラ、タンポポ、キンポウゲ、レンギョウ、エニシダ、ミモザ、菜の花、、、野生で育つ強いやつばかり!「春が来た、春が来たんだよー」としつこくアピールするため、なんてことはないのだが、黄色は昆虫界でも目立つ色で長い時を経て勝ち組になったとか、そんな理由かも知れない。

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 セント・ジェームス・パークはバッキンガム宮殿の近くにあって、池に水鳥が遊び、花や樹木がきれいでロンドンでもっとも好きな公園である。クロッカスから始まり、スイセン、チューリップなど季節の花が途切れることなく、手入れも完璧で新緑のときの木々の芽吹きの色のハーモニーが美しい。

 特に銀葉しだれ洋梨(日本で見たことが無く、日本名も知らないので勝手に命名した。柳のように見えるが実は小さな洋梨が実る。)の淡いトルコブルーと紅葉スモモ(こちらも日本では見たことがないが赤紫蘇色の葉で春に桃の花が咲く)のプラムピンク(色の名前が分からないので勝手に作った)の新芽色のコントラストは絶妙でエレガントの極み。

 リスが寄ってきてランチをねだり、陽だまりのベンチで休めば小さな桃源郷のようにも思えてくる。

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 ロンドンで春の訪れを告げるのはクロッカス。
冬の間ひっそりと動かなかった風景はクロッカスが咲き始めるとすぐに黄色いスイセンへと移り、やがて桜へと目くるめく春のクライマックスに導かれる。

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クロッカスはロンドンの公園のいたるところで見られ、セント・ジェームス・パークもいいが、キュー・ガーデンが特に美しい。
芝生の間から咲く白から紫までのグラディエーションはエメラルドの海にミルキー・クオーツとアメジストをばら撒いたよう。

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 宇藤の姓に藤が入っていて白い庭を作っているから僕のシンボルフラワーは白いフジと決め、いくつも園芸店を回って取り敢えず10本ほどアプローチの通路の両側に植えた。白いフジのアーチをくぐってガーデンに入るというのはどうだろう。

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 フジは日本の野山に自生しているほどでフランス語でGlycine de Japonといい、日本や中国から持ち込まれたものである。
 フランスでは日本のようなフジ棚は見たことが無く、建物や塀沿いに這わせている。フジは成長が早く、日本の昔の木造家屋に沿わせて幹が太くなってきたら家を圧迫して家を傷めてしまうだろうが、石造りの家ならその心配も無く、壁面を花と緑で飾り、夏の木陰を作り、春の花と初夏の花の狭間に無肥料で育つ便利な花だ。ヨーロッパでも圧倒的に薄紫色のものが多く、樹齢50年、100年というものも見受けられる。

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 白いフジで有名なのはジヴェルニーのモネの庭の睡蓮の池にかかるフジで、ジヴェルニーはパリからも近いので何度も行った。しかし睡蓮が咲く初夏にはフジは終わっていて、なかなか満開のタイミングと合わなかったが去年はぴったりと合い、またジャーマンアイリスもことのほか美しく、ジヴェルニーを訪れるなら5月中旬が最高だと思った。

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 なぜ白い花にこだわるのか?それは自分でも良くは分からない。純白の心を持っているからというのはすぐに却下!それでは自身と反する物に憧れるから!身近な人はそうだ、そうだ、と言いそうだ。

 今年はモーツアルト生誕250年、天上的な美しい音楽を創るモーツアルトだって結構下品な冗談を飛ばし、お金のために曲を書いていた。バラを育て、バラを描き、ピアノでショパンを弾くカザンだが、僕自身が清らかで美しいというわけではない。(ドロドロでもありませんよ、念のため。)ただ美しいものへの憧れや執念は強いかも知れない。

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 思うに、僕にとっての白い花の魅力はそのデリケートさにあると思う。濃い色の花は光の変化に対してそれほどの影響を受けないが明るい色の花は繊細に反応する。白は明るさの頂点でありニュートラルだから、白いバラの花は近くの葉のグリーンを取り込みかそけき色調を加える。

 またカザンは半透明なものこそ美しいと思う。それは例えば大理石、珊瑚、真珠、象牙、カメオ、陶器などで、もっとも美しいものは人間の皮膚かも知れない。だからミケランジェロは大理石にピエタやダビデを彫り、大理石であるが故に光を吸収し美しく輝く。白いバラは光を花弁に吸いこみその裏側に送り出してくるから逆光のときにそのデリケートさを発揮し、アイスバーグのように純白ではなくわずかにクリームやピンク、グリーンさえも感じさせる花はデリケートの極みでありいつまでも魅入ってしまうことになる。純白がいいというのではない。白の中の限りない色の変化がたまらないのだ。

 次に白い花は青い花の突然変異で現れたものもあり、劣勢遺伝であるから強い色の花に負けてしまう。例えば青と白のミオソチス(忘れな草・・・勿忘草と書き、Forget me not の和訳だがフランス語では英語と同じ Ne m'oubliez pas もあるが Oreille de souris はつかねずみの耳という言い方もある)を青と白同じだけ植えても次第に青に占領されるし、白いジキタリス(学名の Digitalis はラテン語で指を意味し、フランス語では Digitale、英語では Foxglove キツネノテブクロで、デジタリスならまだわかるけれどなんでジキタリスになっちゃったの?)を維持するには庭にはびこっている野生のパープルのジキタリスを花が咲く前に全て抜かないと蜂が交配してしまいやがて白は消える。

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 つまり白は保護しなければならなく保護していればいとおしさも増すというわけだ。見渡す限りの青いブルーベル中でたった1株だけ純白のブルーベル(ホワイトベル?)見つけたりするとドキドキしてしまうが、逆に平凡な白い花の中にたった1輪の青い花を見つければやはりドキドキだろうから希少なものに憧れるからというのはどうかと思う。

また白い花は枯れると汚いから花がらをすぐに取らなければならなく手間もかかり、放って置いても踏んづけてもインヴェーダーのようにどんどん増える花はありがたい面もあるがカワイクナイと思ってしまうこともあるのだ。

 白い花は薄明かりのときにこそその魅力を最大限に発揮する。夜明けの時に白バラの朝露の雫に初めて太陽の光が当たりきらりと光り、バラが Bonjour! と言う瞬間がもっとも美しく、庭の作業で疲れた体を休めつつ暮れなずむ薄明の中に朧に佇む白いケシを見えなくなるまで見守るのは心地よい。

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 「ブルゴーニュで庭を作ります。手伝ってくださる方には部屋と食事を提供します。」とBISESの特集記事の末尾に載せたところ50通ほどの手紙が届いたが、そんなにたくさんの人を一度に受け入れるわけにはいかない。そこで期間を区切って年間を通して来てもらうことにした。最初は恵泉の園芸科を卒業した人を中心に3人の女性が来ることになったが、僕にとっては庭の作業がはかどり、彼女たちにはとってはフランス田舎生活が体験できるというGIVE & TAKEの世界だ。世の中GIVE & GIVEでもTAKE & TAKEではうまくいかない。旅行するのも自由だから誰もが作業を抜け出し旅に出た。

 庭と大工仕事ばかりやっていたら生活は出来ない。ようやく絵を描く時間ができて、自分で食事を作る必要も無くなり、ココも遊び相手ができて大喜び。ここはユートピアUTOPIA?なんと僕の姓が入っているではないか、名前をピア君に変えようかなんて馬鹿なことは考えない。

 さて不可能だと思われた庭作りも頼もしい?助っ人の出現で何とかなるかも知れないという希望が湧いてきた。白い花には学名でALBA(ラテン語で白を意味する)という名前がついている花が多い。ホワイトガーデンを作るのだからALBA GARDENにしよう。

 今日の写真は庭を作り始める前のアルバ・ガーデンです。シャスター・デイジー(フランス菊)が咲いていますがフランスでは道端に咲いている雑草のようなものだからもちろん抜きますよ。

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 フランスの内陸部の冬はかなり寒くなる。ブルゴーニュの家は標高500メートルなのでマイナス10度ぐらいにまでなり氷点下以上だと暖かいと思えてしまうほど。だからどこの家も寒さ対策は万全で家の中は暖かい。
 壁の厚さは50センチぐらいあるがそれは石を積むにはそのぐらいの厚みが必要なのと家の中を寒さと暑さから守るためである。特に教会などの大建築は壁の厚さが2メートルはありそうで内部は夏でもひんやりとしている。ほとんどの家は重油かガスのセントラルヒーティングと薪の暖炉を併用しているが薪でボイラーの湯を沸かして各部屋のラジエーターに給湯して暖房する家もある。
 薪は買うとなると1立方メートルで200フランだったから安くは無いが、暖炉の炎は美しく、薪の燃える香りがとてもいい。
 フランスは平野は農地に、丘陵地帯は酪農に、森からは薪を取りと国土をあまねく利用しているから豊かなのだろう。

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雪はそれほど降らないが頻繁に霧が立ち込める。気温がとても低いと流れる霧が枯れ枝や細い草に付着し凍って霧氷になる。翌日晴れたりすれば白い結晶に光が当たり美しく輝いて冬の華となり、稀にダイヤモンドダストを見ることもある。

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 ブルゴーニュに来て最初の冬は厳しかったけれどやることがたくさんあり、新鮮でもあり辛いとは思わなかった。標高は500メートル。冬は霧の日が多く日中でも氷点下を越えない真冬日が続き、雲が低く垂れ込める暗くて寒い日が続く。何日も何日も太陽を見ない日が続くと気持ちも滅入ってきて季節性鬱病になる人も多い。

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 5ヶ月間は冬という感じでフランスには夏と冬しかないと言うフランス人もいるが、そんなことは無く春も秋もある。冬は閉じ込められるのでその反動として春が来るのはうれしく、太陽が出ると小躍りしたくなるほどうれしい。ちょっと暖かく天気がよければ小鳥が待ちきれないように鳴きだし早春の花が咲き出す。一番早いのは森のアネモネと呼ばれる白い小さな花で遠目には雪が降ったようにも見える。日本名はキンポウゲ科のニリンソウだと思われる。

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 家のすぐそばの林の中の写真です。
フランスの森や林は薪を取るためにきれいに管理されているからこんなにきれいに花が咲くのです。やがて下草が出て夏には森のアネモネは姿を消します。

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 ココの鶏襲撃事件のあとカザンは考えた。ココは外で出会う猫は追うけれど同居していた猫のマーシーは追わない、というより猫の方が強いくらいだ。ココが遊ぼうと近寄ってきてもフンという感じで相手にしないし、さらに近づくとココを威嚇する。だから鶏を飼って慣れさせればいいのではないかとカザンは考えた。
 オータンの朝市には鶏の雛が売っている。食用は1羽50フランぐらいで卵用の鶏は100フランぐらいだったと思う。オスとメスで値段が違うと言うより鶏の種類が違い、食用の鶏は白かグレーで卵を産む鶏は茶色である。卵用鶏を2羽、食用鶏を3羽買ってきて、5羽を庭に放し様子を見る。一応餌も買って来たので撒くと寄ってきて食べている。あまりそばに寄らないようにとココを十分に諭したからから大丈夫。
 撒いた餌を食べ終わると鶏はすぐにミミズを見つけて食べ始めた。余程美味しいのだろう。以後餌代はかからなかった。食用の鶏はどんどん大きくなるが卵用の鶏はなかなか大きくならない。一ヶ月ぐらいたったところで卵を産み始めた。茶色い卵である。フランスで売っている卵は茶色で白い卵は見たことがない。日本に行くと卵が白いが、どちらが美味しいかは簡単には比べられない。フランスの我が家の鶏は十分な運動をし、たくさんのミミズを食べているから卵の黄身はオレンジ色で味が濃厚。
 1羽が1週間で5個ぐらいの割合で産み、どこで産むか大体は決まっているのだが時に変則的な場所で産むので卵探しも日課の一つになった。食用の鶏はアッと言う間に大きくなり、詳しくは書かないが食べてしまった。卵用の鶏はその後も産み続け、庭を掘り起こして居るとそばに来てミミズを突っつくのだが植えたばかりの苗を足で蹴り、遠くに飛ばしてさらにミミズを探すのには困った。

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 パリからブルゴーニュに来て2週間ぐらい経ったころパリに3日ほど行くことになった。だが飼い犬のココは連れて行くわけには行かない。かといって3日間家に閉じ込めておくこともできない。それではということで裏口を開け放し、金網で仕切って庭のほんの一部にだけに出られるようにした。庭の周囲は400メートルありほとんどの部分は生垣で囲まれているが犬が出られないように完璧にするのは不可能だった。大型犬のボルゾイはジャンプが得意で2メートル位は軽く飛び越えられるので牛を囲うための生垣では役に立たない。そこで今回の外出のために急ごしらえの小さな囲いを作り、3メートルの高さだからこれなら大丈夫だろうと安心して出かけた。僕はすぐに戻ってくるから寂しいだろうけれど待ってね、お土産にパリのビーフジャーキーを買ってくるからとか何とか言ったがココは首をかしげている。ブルゴーニュに来たばかりで一人で置いていかれるココは不安でパニックを状態になったのだろう。僕の留守中に金網を噛み切り穴を開けて脱出してしまった。
 主人を追ってパリまで300キロということにならなかったのは良かったものの大変なことをしでかしてしまった。まず家の北側の農家で飼っている鶏を5羽殺し、5キロ離れた農家で飼っていたウサギを逃がしてしまったのだ。ボルゾイはロシアで狼狩りに使われていた猟犬だから本能的に逃げるものは追う。猫を見ればすぐにダッシュするので散歩のときは犬より先に猫を見つけて制しないと引きずられかねない。猫はすぐに脇道に逃げるから捕まることはないし、ココも猫を殺して食べようとするわけではないがつい先祖の狼狩りの本能が出てしまうのだ。ココには遊び心のスポーツのようなものなのだが目をつけられた動物はたまったものではない。生死にかかわる問題だ。
 さて、もしや捨てられたのではないかとパニックを起こしたココは脱出するとすぐに放し飼いの隣の鶏を見つけた。普段はご主人様から制止されるが今日はいない。ココは鶏と遊ぶつもりだったかも知れないのだが鶏としたらありがた迷惑。パニックを起こして逃げ回り、ショック死してしまったのかココががぶりとやってしまったのか、現場に居合わせなかったのでわからないが食べたとは聞いていない。もちろん隣家の人は大憤慨、今度やったら警察を呼ぶと言われ当然のことだが平謝りで十分な額を弁償して何とか収めてもらった。やれやれと思ったらとなりのショサール婦人が来て5キロ先の農家で飼っているウサギの檻をいたずらしてウサギを逃がしてしまったと言うのだ。何せ目立つ犬だからココの仕業に間違いない。留守中一体どこまで散歩をし、何をしでかしたのか?この事件で殺人と逃亡幇助を犯した凶暴なココと変な日本人の存在は村の周囲全域に知られることとなった。僕はともかくココはむしろ臆病な心優しい犬なのだけれどね。

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 モルヴァン自然公園は日本の国定公園のようなところでコッツウォルズと景色が似ている。

 ブルゴーニュ地方はパリの南東部に位置し、ワインで有名だがワインのブドウ栽培に適しているのはブルゴーニュ地方の東側のほんの一部だけでそのほかの地域は小麦畑などの農地と牛や羊の牧草地である。ブルゴーニュワインの中心地はボーヌであり、さらにパリ寄りのオーセール付近のシャブリからシャンパーニュ地方へとブドウ畑は続く。モルヴァンはブルゴーニュ地方の中央部に位置し、もっとも高い山でも800メートル程度、森の中に湖が点在し、なだらかな丘と牧草地が続く美しい地域で永遠の丘と呼ばれる巡礼の街ヴェズレーなどもある。

 モルヴァンの中心都市はシャトーシノンという丘の上の町で以前は城があったが今は城跡だけで、ロワール地方のシノンとよく間違えられる。特に紹介するようなものは無いけれど街から眺めるモルヴァンの自然は美しい。以前は鉄道が通っていたようだがさらに大きい街に行くには県庁所在地のヌヴェールまで西に60キロぐらい行かなければならない。ヌヴェールには大型スーパーのカルフールなどがあり、またヌヴェールからパリまでは電車で2時間で行ける。

 シャトーシノンから東に35キロ行くとオータンというきれいな街があり、金曜日の午前中に市役所前の広場で開かれる朝市では牡蠣や鮮魚、新鮮な野菜や果物が売っていて、さらに遠く行けばボーヌ、デイジョンなどの魅力的な街があり、食材や苗を求めてたびたび訪れた。

 モルヴァンは日本で言うと山梨県と言う感じでしょうか?

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 一人で管理できる庭の広さはどのくらいだろうか?常識的に考えれば100坪ぐらいかな?絵を描き、展覧会をして、家は劇的大改造ビフォーの真っ只中。村にはカフェも店も無いし、買い物をして食事を作るなどの日常の家事もこなしながら1ヘクタール(3000坪)の庭を一人で作れるかと言えば、カザンの辞書には不可能という言葉はある!という結論になるのだが。まあ家の周りからはじめれば花壇はそのうちに広がるだろう。取り敢えず他は芝生にしておけばいい、と芝刈り機や草刈機などの園芸用機械を少しづつ揃えていった。最初の芝刈機は電動だったがコードの長さしか届かなく、草が濡れていると感電の危険があり、非力で伸びすぎた雑草には刃が立たなくてすぐにガソリンで動く中型の芝刈り機に変えた。でも刈れる幅はせいぜい50cmだから庭を一通り刈るのに計算上は20km歩くことになる。しかも場所によっては芝刈り機が倒れるほどの急斜面もあり、20キロ歩いて刈り終えたころには最初のところはもう草が伸びている。これでは芝刈りだけで一生が終わってしまう。星の王子様の点灯夫と同じだ。あまりに伸びすぎれば芝刈機では無理になり草刈機の登場となるのだが、紐を引っ張ってエンジンを掛けるのもなかなか難しく、肩に掛け長時間円盤を振り回すのは見た目よりも重労働。背の高さ以上に伸び、はびこったイバラをやっつけようとすれば棘だらけの鞭のようにこちらに襲ってきて体中傷だらけ。イバラの道とはこのことか!
 僕が来る前は10年間空き家だったけれどその間の草の管理は誰がしていたかというと村の女の子が飼っていた2頭の馬が放されていて草を食べ、馬糞で土を肥やしていた。一石二鳥、一挙両得、なるほどこれが田舎の知恵というものか。しかし花壇が出来るようになってからもこの馬たちは美味しかったご馳走が忘れられず脱走し、朝起きると庭で草を食んでいたこともしばしば。追えば花壇の中を逃げ回り、アーッそこは!と言ったって聞く耳持たず馬耳東風。鹿の糞が落ちていたこともあったし、隣の牧場の柵が壊れて牛が大挙押し寄せたこともあった。ガーデニングは自然とアニマルとの戦いだ。

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 ブルゴーニュの家が気に入ったのは何よりも景色が良かったから。丘の上だから360度の大パノラマで南斜面だから日当たりは申し分ない。夜は真っ暗になるから一年中天の川が見え、居ながらにしてプラネタリウム。100メートルほどプライベートロードを入った奥で隣家は見えず大自然の中で静かな生活が送れる。庭から見えるロマネスクの教会が朝7時と正午と夜7時に鐘を鳴らしてくれ、太陽の位置で大体の時間は分かる。 そもそも日の出と共に起き、暗くなって手元が見えなくなるまで庭の作業をし、くたくたになって起きていられなくなったら寝ればいいのだ。今日は一体何日で何曜日?ということになる。何月?何年?そこまで行ったら大変だ!
 敷地には泉が湧き周囲は牧場、と環境は抜群なのだが200年以上前に建てられた家で10年間住んでいなかったから家は凄まじかった。或る日居間に大きな蛇が居たり、天井裏にヤマネやハトが居たり、、、、景色は変えられないけれど家は変えられるから住み始めれば何とかなるだろう、住めば都というではないか。モルヴァン国定公園内だから高速道路が出来て都市化する可能性ゼロ。都になることは無いな。ならば住めば天国か?と楽天主義のカザン。だから画家になった。だからフランスに来た。だからとんでもない田舎に来てしまったということですよね。なにせライフラインの電気、水道が引けていて、ガスはプロパンだけれど電話も来ている。ターシャ・テュダーみたいにローソクを作ってなんてしなくても、案外文化的な生活が出来そうと思うでしょう!ところが、ところがですよ。トイレと風呂がない!庭よりも何よりもこちらが先決。
 ということで住んでいる村には午後だけ開く小さな郵便局があるだけだから買い物は10キロ離れたシャトーシノンの街まで行かなければならない。幸いにもDIYの店があり何でも揃う。給湯設備、配管工事、水洗トイレなどの工事を一人で手がけ、少しづつ人間らしい生活に近づいていったのである。お陰で家の改装は何でも出来るようになり、蛇さんも冬眠したようだ。
 居間には大きな鉄の薪ストーブがあっていつごろまでかは知らないが昔はこれで調理をしていた。大きな浅い暖炉の奥には1か月分のパンが焼けそうな大きなパン焼き窯まで備わっているが、さすがにパンまでは焼かなかった。暖房は薪とガスと電気を使い分け、ご飯は圧力釜で美味しく炊けた。カザンは料理だってこなします。何でも出来なければド田舎暮らしは出来ない。ジャムは手作り、オーブンでケーキを焼くこともしばしば。
 昔のブルゴーニュの家は玄関を入ると暖炉のある居間で、大体そこで調理、食事をし、小さな家で家族が多ければ子供たちのベッドも入れたことだろう。だが居間は広くて寒々しいので使わずに別にダイニングキッチンを作り、冬は2階のアトリエか寝室で過ごし、春から秋までは暖かければ庭で食事をした。ここは天国と地獄が同時に味わえる場所なのだ。

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 パリはとても魅力的な街。パリの美術学校の学生のときに2年間パリ市内で、90年から2年間はパリ近郊で暮らしたが、パリの街の絵は1枚も描かずにロワールやブルゴーニュ地方の風景ばかりを描いた。ならばパリにこだわらなくてもいいかということで写生がてら不動産屋を回ると当時のフランスの不動産はとても安かったのですね。ブルゴーニュ地方モルヴァン自然公園内の見晴らしの良い丘の上に築200年の石の家を見つけ引っ越した。200キロ先のオーヴェルニュの山まで見渡せる大草原の小さな家の庭は1ヘクタール。やりがいがある。いやありすぎる。ということでまたまた開拓時代に突入した。
 何年か人が住んでいなかった庭は荒れ果ててイバラがはびこりそれを大きな鎌で刈り取る作業は大変だったが大自然の中で汗を流すのは気持ち良くもあった。触るとちくちくするイラクサやシダも厄介で葉山の篠竹、茅、葛の三悪が種類を変えてカザンの前に立ちはだかる。この新三悪は家畜が食べないので人が駆除しないと牧草地が狭められることになり、酪農家は巨大なトラクターで定期的に刈り取っている。農業用トラクターなんて持っていない僕は仕方なく手作業を続けたが、周囲の農家は変な日本人が来てイバラと格闘しているのを見て理解不能、異星人が他の惑星から来たぐらいに思えたことでしょう。それでも隣のショサール婦人が来て、羊を3頭飼えば雑草を食べてくれるよと親切に助言をしてくれた。だけど僕はここを白い花で埋め尽くしたいのだ。羊は花も食べてしまうでしょう?東京と湘南とパリしか知らない僕が突然羊飼いになれるだろうか?後になって思えばどうせ少しづつしか庭は進まないのだから芝刈り機の代わりに羊さんに任せればよかったのだが。。。。

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 1990年からフランスで暮らし始めたのだが最初の2年間はパリの郊外の木々に囲まれた家で、庭は広かったが大きな木が敷地内に何本かあり、緑が心地よいものの半日陰でバラなどには不向きだった。
 ある日フランスの園芸雑誌でイギリスの白い花の庭の写真を見つけ、イギリスに行くことにした。まだユーロトンネルは出来ていなかったのでフェリーに車を乗せてイギリスに上陸、目指すはシシングハースト城である。フランスに来る90年まではいわゆるガーデニングブームは存在せず、イギリスの庭園も紹介されていなかったのでシシングハーストの名も知らなかった。フランスの園芸誌の小さな写真を頼りに訪れたのだから実際のホワイトガーデンに入ったときは驚いた。葉山の赤いひなげしの庭も悪くはないと思っていたけれど、シシングハーストは世界がまるで違う。世の中にはこういう天国のような世界があったのかと心から感動し、翌日も訪れどうしたらこんな庭が出来るのだろうと溜息が出てしまった。今のパリの郊外の家ではとても無理、日の当たる広いところがいいなあと思ったがフランスに庭を作りに来たわけではない。絵を描きにきたのだからと自らを説得するのだった。
 シシングハーストの庭は背の高い刈り込まれたイチイとレンガの塀で囲まれた部屋になっているがこの部屋の意味を後に自分で庭園を作り始めて初めて分かってきた。その意味というのは第一に囲まれた中でひとつの世界を完結することができ、周囲を区切り外の世界が見えないことで囲まれた中でのデザインは完成度も高くなる。次に庭園に入るとすぐに全体が見渡せるというのは損である。次は何があるかなという期待を持たすことが出来ない。だからイチイの刈り込みは目隠しでもあり、先が見えないからこそ次の部屋に入ったときの新鮮な驚きも大きい。例えて言うならばプッチーニのオペラの第二幕で幕が上がると華やかなパリのカフェの場面になり、それまでの火の気のない暗い貧しい部屋の場面の対比の見事さに思わず歓声を上げてしまうようなものである。カザンのホームページも実はシシングハーストの影響を受け、ページからページへの移動に心を砕いている。というのはたった今思いついたことだからこの文章もあまり真に受けないようにご用心。
 それはともかく次に思うのはイチイの濃いグリーンが背景にあることによって白い花はその白さが際立ち、逆光になる場所がとても少なくなる。さらに花は明るい方に向くので花はすべて中央の観る人に向かって微笑むということになるのです。牧草地の真ん中で庭園を作り、除草に明け暮れした経験から分かったのはイチイの仕切りやレンガの壁があることによって雑草の種が飛来してくるのをどれだけ防げるか!ということである。雑草がなく、美しい草花だけが育つというのは天上の国にはあるのかもしれない。

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 「小さなひなげしのように」の歌詞だが小麦畑というのはフランスのどこにでも見られる景色である。地平線まで続く小麦畑はむしろ平凡で退屈な景色でありフランス人の原風景というものだろう。小麦畑は季節によって色が変わる。4月ごろはやや青みがかった麦の新芽の色と大地の茶色、菜の花の黄色とのコントラストが美しいし、5月になると力強い緑一色になるが6月になって穂が出てくると少し銀色を帯びる。そよ風に波打ち、太陽に穂が輝くのは美しい。7月になると早くも黄色味を帯び、8月には明るい茶色になるが、穂のひげは金色に輝く。
 さて「ひなげし」の歌詞だが夏のやさしい太陽が少女を照らすとあるので小麦畑は金色を帯びたオークル(黄土色)で道端には赤いひなげしが咲いている。その中に白いコルサージュ(ブラウス)を着たmoitie nueの少女が横になっているが、moitie nue というのは半分裸という意味なのでかなり肌けた状態、そよ風と心地よい太陽を浴びてまどろんでしまい衣服が乱れた様子を指すのだろうか。この歌を知ったのは60年代の後半だったからフランスの田舎の少女はスカートだったと思う。そして歌詞にはないが若い男はヴァカンスで田舎に来ていて小麦畑の真ん中で見知らぬ少女に出会い一目ぼれをしてしまう。こう思わせるのはフランス映画の「想い出の夏」というヴァカンスの間に少年が年上の女性に恋をする一夏の物語の映画をこのひなげしの歌と同じころに観たためオーバーラップさせてしまうからである。
 若者は少女の隣に横になり、彼女の胸の鼓動を感じながら会話を交わし彼女にキスをする。そして翌日には彼女の白いコルサージュにひなげしのような3つの赤い血を見るという内容だが、フランス語の歌詞を見ると彼女が好きでない別の男の嫉妬によって殺されたということが分かる。切なく悲しい「想い出の夏」の歌である。美しい色彩と刹那さはフランス人の感性をくすぐる。黄金の小麦畑といえばサン・テグジュペリの「星の王子さま」で王子が狐と出会い、王子にいつも同じ時間に通って欲しいと願う。そうすればその時間が近づくにつれて期待が高まり待つという楽しみが味わえ、会えなくなった後も金色の麦穂を見るたびに君の事を思い出すだろうと王子に話す。王子の金髪が金色の小麦と同じ色だから想い出は呼び起こされ、別れの予感と定めに彩を添える。
 色彩を感じさせる詩はなんと言ってもマラルメで、マラルメの詩の色彩はモローの絵を連想させる。彼の詩によるドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」はあまりに有名で詩、絵画、音楽が互いに影響しあえた幸せなエポックだったのだろう。マラルメの詩はフランス人にとってもやさしくはなく、あるフランス人の教授に「白鳥」というソンネ(ソネット)を解説してもらい初めてその奥深い世界を垣間見ることが出来た。俳句や短歌を英訳するのが難しいのと同じくフランス語の語感が根底にあるマラルメの詩も日本語には移し得ない世界だと思った。

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 カザンにとってのガーデニングのルーツはどこにあるかを考えると新宿の狭い庭だったが小学校低学年ですでに庭の手入れをしていた。当時はそれほど珍しい花は無く、チューリップとかラッパズイセンとか朝顔、酔蝶花などであったが、ストケシアが好きで淡い藤色のに加え、濃い紫、珍しかった白花種などを揃え、株分けで増やしていくのが楽しみだった。
 また僕が生まれた高円寺の親戚の家には広い芝の庭や池があり球根を植えたり種を採取したり生ごみを地中に植え込む手伝いをよくやっていた。中学生の頃、年上の従兄弟の練馬の家に江戸花菖蒲の庭があり、彼から大和農園や坂田園芸のカタログを教えてもらい、以来春と秋にカタログが届くようになった。何を注文したかはよく覚えてはいないがかなり長い間カタログが届いていたので毎年何かしらは注文していたはずである。
 花のサイトはほとんどが女性なのだが稀に男性のサイトがある。先日出合った男性のガーデニングサイトで彼が昔昆虫少年であったということが分かり、実は僕も昆虫少年であったし、伊豆高原の友人で綺麗な庭のあるペンション、アヴォンリーのオーナーである前田さんもまた昆虫少年だったことを考えれば昆虫少年はガーデニングオヤジ(意識としてはガーデニング青年なのだがすぐ腰が痛くなるし寄る年波には勝てないので)になりやすいという法則は成り立つと思っている。もしも昆虫オヤジとして続いていたらもっと貴重な存在になっていただろうが、大人になっても捕中網を振りかざしているというのはかなり勇気のいることである。しかし高校、大学のころはもっぱら音楽の方に夢中になっていてそれほど園芸には関心が無かったとはいえ庭の手入れはしていた。
 パリの学生時代は14区の国際大学都市での生活だったから自分の庭は持てなかったがフランスから戻ってからはずっと湘南地方で暮らし、84年ごろから住んだ葉山の家にはよく日が当たる100坪ほどの庭があってそこで当時の意識としては本格的な庭作りに励んだのである。庭といっても最初は荒地であり、竹と茅と葛の根を掘り起こす開拓作業から始まりそれはそれは大変な重労働だった。
 目標は庭をヨーロッパ風の花で埋め尽くすことであり、誰もが夢のように美しい庭だといってくれた。どんな花が多かったかとい言うとピエロという赤いヒナゲシ、オダマキ、ネモフィラ、一重の千鳥草(当時はまだ日本のカタログに無く、ヨーロッパから種を持ち帰ったもの)、宿根カスミソウ、スカビオーサ、ジャーマンアイリス、クレマチス、ミモザ、ワットソニア、ガルトニアなどでスイセンは20種以上のコレクションがあり、ロマンスやアクセントなどのピンクスイセンを多く集めていた。アルケミラなどまだあまり馴染みの無い花にもトライしたが失敗も多く、カスミソウと紫の千鳥草が咲くときがもっとも華やかで美しいときなのだが梅雨と重なるのが惜しかった。
 90年にフランスに移住するまでこの庭には随分時間をかけたが、今でも庭一面に咲く赤いヒナゲシが忘れられない。フランスのシャンソンで「小さなひなげしのように」というのがある。
 夏の小麦畑の中にまどろむ少女に束の間の恋をしたが、少女は白いコルサージュに赤いひなげしのような血をつけて死んでしまったのでひなげしを見ると少女を思い出すというような内容だったと思うけれどいかにもフランス的な詩的な世界である。


Kazan

Author:Kazan

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宇藤華山(カザン)
東京芸術大学及び同大学院卒業 フランス政府留学生としてパリ高等美術学校で学ぶ。シャンソン歌詞の翻訳をしながらシャンソンを歌う。

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英国の庭園とコッツウォルズ、フランス花景色、水彩画作品を紹介。

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